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2005年3月 4日 (金)

分業と専門化について ?「二十歳のころ」 神谷郁代 (1)

WEB上で、東大立花隆ゼミによるインタビュー集「二十歳のころ」のいくつかを読んだ。

このblogを開設したのは、これが書きたかったというのもひとつある。 以前にも同じものを読んでいたのだが、再読して深く心を打たれた文章があった。それが神谷郁代というピアニストのインタビューである。

 「二十歳のころといっても私のすることは結局ピアノでしょ。だから大きな区切りというのがないのよね。していることは小学校の頃からずっといっしょ。みなさん大学生になったり、就職したりして、この前後で大きな環境の変化があるのでしょうけど、私は小さいころから練習練習でずっと音楽だけに一生懸命でしたから、その延長という感じで特別なものとは思わないわね」というようにこのインタビューははじまる。

僕のHPからこちらを読みにきてくれた人ならわかると思うが、僕にとって「ひとつのことに打ち込むのか、あるいはたくさんのことに手を出すのか」という選択はとても大きな<実存>(注1)のかかったテーマである。「ずっとピアノばかり」というのは、自分自身が選択した生き方からすれば否定したいあり方であり、またそういう人から見れば僕の生き方はすごく中途半端にうつると思う(注2)。

世の中一般からすれば、それでも僕の世界は「文化・芸術」に特化しているように見える。世の多くの男は「酒、女、博打」に相当のお金をつぎ込み、スポーツについて語りながら毎日を過ごしているはずだ。週刊誌やスポーツ新聞などを見て、街を歩けば、世の中がそんなふうに動いているのは間違いないのだが、僕にとってそういう世界は少しもリアリティーをもって感じられない。それだけすごく狭い世界に住んでいるということになるかもしれない。うちの母なんかがよく言う「浮世離れした」人ってことで一くくりされてしまう、そんな人種。

でも、そういう人種の中では、とてもわかりやすく一方の極にいるはずだ。好きな呼び方ではないけれど、いわゆる「マルチ」ってやつ。僕は、(意識上では)こういう「文化・芸術系」の人々の中で生活しているので、実効的なアイデンティティはそこにあるし、ここで言う<実存>もそこにある(注3)。

図1

 

 

 

僕が学問において「マルチ」になっていったのは、「専門分化の進んだこの世界で、よその分野も知っている、ということを逆に売りにして<何でも屋>という専門家になる」という戦略があったんだけれど(注4)、社会学と音楽の両立のほうはそれとはちょっと異なっている。 今回書きたいのもそれについてだ。

神谷さんが「自分はピアノだけをずっとやってきた」と語る時、その背景には「そうした専門化なくして、この世界ではやっていけなかったはず」という社会認識があったろうし、また「自分は、そうした世界で生き残っていけるだけの才能にめぐまれていた」という自負もあっただろう。僕が小学生の時点でいったんピアノをやめたのも、同じ理由だ。まだ小学生だったけれど、小学生なりに、ピアノという世界では競争に勝ち残ってこそ存在価値があると感じていたのだと思う。

いっぽう、僕は中学受験という競争にも参加して、日曜ごとに横浜から東京まで通って試験を受け、細かく序列化される世界に身をおいていた。そこではトップからは程遠い成績しかとれなかったし、地元の小さな塾の中ですら真ん中程度の成績でしかなかったけれども、それで競争から降りたりはしなかった。どちらに向いているか、どちらが好きか、ということとは別に、それに打ち込むだけの価値があるかということを判断するときに、音楽という世界と学歴社会みたいな世界とは全く違う位置づけがされている、という認識がその時点で育っていたのだと思う。

 今、僕がまがりなりにも音楽を続けている、というのはそこに価値観の転換があったことを意味している。少なくとも人の行動をその人の価値観から説明しようという方法論的個人主義の立場からすれば、そう考えることになるだろう。 はじめに書いたように、そういう意味で神谷的な音楽観・仕事観とは対立するようなかたちで僕は音楽に関わってきている。

それについてもうちょっと書いていきたいのだが、今回は長くなったのでこのくらいにしておく。

 

 注1 <実存> いわゆる実存主義の「実存」とは多分あまり関係ない勝手なタームなので誤解なきよう。大学時代僕の周辺で流行っていた言葉で、それが世の中のどのくらいの範囲で通用するのかわからないが、非常に便利なので今でも使っている。たぶんこのblogでもキーワードのひとつになるだろう。社会におけるその人のポジショニングにおいて、どうしてもこだわっていかなければいけない、それを忘れたら別人28号だろうと言われてしまう、そういうポイントを指す。いわゆるアイデンティティに関わる事項で、社会におけるどのような競争に関わっていくか、という価値観を意味している。(文例:「オマエ、明日の合コンは実存がかかってるなあ(意味:明日の合コンでポイントを挙げられないと、この仲間内におけるオマエのオマエたる所以がゆらぐよな。だからそこで勝ちに行くためにオマエの全力を出し切るつもりだろ?)」「オマエ、ひきこもりだった、っていうの、オマエの実存かかってるの? (意味:引きこもりだった、ということはもはやオマエのオマエたる所以と切っても切り離せないものになっていて、しかもそれをこの仲間内でウリにしたりネタにして、「かつて引きこもりだったからこそ、今はこんなことができる」みたいなことをこのグループで主張したいって思ってるの?」)

注2 こんなふうな「社会というのは、基本的に自己肯定に基づく価値観の闘争の場なんだ」という見方は、そのままブルデューの世界観だと思う。社会の中における自分自身の位置をできるだけ高めることのできる、そういう価値観を互いに押し付けあいつつ、多数派工作の妥協によって、全体的に信用される規範的な価値観ができあがる、という考え方。もちろん実際には「自己否定」とか「自己嫌悪」とかもあったりするんだけど、それも理論の細部を調整して乗り越える。そういう意味では、あまり反証というのが意味をもたないので、いわゆる仮説というよりは、そういう論理形式を現実にあてはめて分析していこう、ということになる。そういう意味でこういう分析は数学で言う「公準」的な位置づけにある。ユークリッド幾何学が5つの公準から出発し、それらを使ってひとつの論理的世界を作り上げるが、公準それ自体は証明されたり反証されたりしない、ということと似ている。ちなみに、こういうことについてひたすら考えていったのが僕の修論。

注3 こんなふうに人のアイデンティティは、その人が所属している(カテゴリーとしての)グループの構造と同じように層化していると言える。たとえば「社会一般」>「芸能人一般」>「若い女性芸能人」>「グループ系アイドル」>「モーニング娘。」>「ミニモニ。」みたいに。Aという人がBという人からどのレベルで意識意識されるかによって、AにとってのBに接する上での社会的ポジショニングも決まってくる。たとえば僕だったら、アカデミズムの世界にほとんど関心がない人から見れば、単に「社会一般」のなかの「学者」ということになるだろうし、もうちょっと関心のある人なら「社会学者」ということになったり、「音楽もやってる社会学者」ということになったりするのだろう。ちなみに社会学ではここでいう「実効的アイデンティティ」をもたらす所属集団のことを「比較的準拠集団(comparative reference group)」という(マートン)。また社会学ではこうしたアイデンティティのことを役割概念をもって説明することが多い。

 注4 僕の場合こうしたアイデンティティがどのようにできあがったかという話をちょっとだけしておきたい。思い返してみると、そのひとつのきっかけは今で言う「センター試験」だったみたいだ。僕が大学受験したのはそのセンター試験(当時は共通一次と言った)が導入された頃で、2次試験ではほとんどの大学で文系・理系の区別に沿った試験が課されるのに対し、1次試験では英数国理社の5教科が課されていた。その試験の模試を受けてはじめて、自分はどうもどの教科にも得意不得意がないらしいことに気づいた(注5)。普通、ある教科が不得意とか言うことは早くに気づくし、不得意があればそのぶん得意というのもできがちで、そういう人たちは自分は何に向いている、という意識が割とはやくできるんだと思う。僕自身もたとえば体育とかは不得意だったし、友達のほとんどが興味を持っているようなプロ野球の話題とかにも無関心だったから、「文化・芸術系」のほうへの特殊化は小学生の頃から進んではいたんだけれど、「文化・芸術系」の中での「専門のはっきりしない人」というアイデンティティはその頃はじめてできていった。その後は、 高三になって文系・理系のクラス分けではいちおう理系に所属しつつも、途中で文転して教育学部に進学 進学後に今度は理学部に転部を目指すが不合格、理系の大学院を目指し勉強をその後も続ける いろいろリサーチの結果、院試直前になって社会学の大学院に進学を決めるという感じで、文系・理系の間をかなり長期にわたってうろうろしている。その間もやりたいこと(進化生態学)というのはある程度あったのだが、いろいろな分野で同じ方法論が使えそう、ということがあったのでそんなふうにふらふらしていたともいえる。ネットワーク理論で言う「弱い紐帯の法則」と同じで、学問分野でも、つながりの薄そうな理論を遠くからひっぱってくれば、それでオリジナルな仕事ができるのではないかという意識的な戦略もあった。もっとも「オリジナルな仕事」というのは、周りからその仕事の意義を理解してもらえないという大きなリスクがあることに後から気づくのだが。

注5 センター入試とかで、一次元的に「できる・できない」ではなく、「どんなふうにできてできないか」ということでアイデンティティが形成しちゃうこと自体が、いかにこういう世界に精神的にどっぷりつかっていたかがわかる。

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コメント

「今、僕がまがりなりにも音楽を続けている、というのはそこに価値観の転換があったことを意味している」という言葉、よくわかります。私自身も音楽という世界では競争に勝ち残ってこそ存在価値があると思っていたし、そして自分はそこでは勝ち残れないと思って競争から降りたからです。しかし、音楽という道は、そのような狭いものではなく、いわゆるコンクールなどの競争に勝たなくとも、音楽教師として、または、音楽評論家として、愛好家としてでも究めて行くことができる道だと今では思うようになりました。曲がりなりにも今も音楽を続けているのは、このような「価値観の転換」が私にもあったからなのでしょう。
ところで、価値観の転換をもたらすものはいったいなんなのでしょう。そしてその価値観の転換の時期というのは、何によってかわってくるのでしょう。
私は自分の打ち込むだけの価値が最もあると思う分野でのある程度の結果や見通し(失敗でも成功でも)が、他分野についての価値観の転換をもたらすものなのではないかと考えました。結果なり見通しがもたらされる時期によって、価値観の転換の時期もかわってくると思います。
先生はどうお考えですか?私、とんちんかんなこと言ってますか?もしそうでしたら教えてください。

まりあ+せしりあさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
僕はそんなふうに考えたことがなかったからとても興味深いです。
まりあ+せしりあさんのコメントを読んで思い出したのは、「ノルウェーの森」のレイコさんのエピソードです。彼女はコンサートピアニストになる一歩手前のところで、精神的な問題で指が動かなくなり、その道をいったんあきらめるのですが、結婚し夫に支えられて、主婦として母として生きはじめるなかで、「自分のために」ピアノを弾くことができるようになります。(僕の曖昧な記憶が正しければ)
<打ち込む>というのとちょっと違うかもしれないけれど、自分の存在理由を家庭生活に求められるようになって、ピアノにより個人的につきあえるようになった、そんなふうに描かれていたと思います。
これはフィクションではあるけれど、僕にとってはとてもリアリティのある話でした。
僕自身の場合は、そういう観点から見るとどういうことなのか、この話の続きを書きながらもう少し考えて見たいと思います。
まりあ+せしりあさんのお話ももう少しうかがえればと思います。

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