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2005年3月10日 (木)

終業式 姫野カオルコ

終業式

手紙、FAXなど、登場人物が書いた文章だけで語られるちょっと実験的な雰囲気もある小説。ただしストーリーや登場人物たちには、いつもの姫野の小説に見られるような不思議な設定は存在しない。

もっとも手紙などだけで物語を進めるという方法をとりつつも、<下宿の大家さんが、電話の声に対してすぐ文句を言う>とかいう設定を利用して、それほど筆まめでないはずの登場人物にもいっぱい手紙を書かせたり、「投函されなかった手紙」と「実際に投函した手紙」を両方出してみせたりすることで、「手紙」という制約の中でも十分に登場人物たちのおかれた状況や心理などがよくわかるように工夫されている。手紙のひとつひとつのディテールは嫌になるほどリアルで、文章はそれぞれの書き手の性格を上手に描き出している。

物語は高校の同級生、男の子二人、女の子二人の親友同士を中心に回っていくのだが、この4人は誰もがとても真摯な性格で、真面目に恋に立ち向かい、それをそれぞれが文章に残している。このことが、この小説のちょっと古風で爽やかな雰囲気を醸し出している。ただこの小説が18世紀に流行ったようなよくある書簡体小説と違うのは、彼ら四人がそれぞれの恋愛を通して関わるたくさんの人々がそれぞれに書き残した文章までを含めて物語が進行していくことで、心理小説に見られるようなロマンティシズムを感じさせない構造になっている。たぶん姫野の美意識が、モナリザにひげを書かせるのだと思う。このあたりが好みの分かれるところだろう。

姫野はその後「ツ、イ、ラ、ク」では同様に拡散していく物語を最終章で力強くまとめてみせたが、「安易に流れることを拒否する」姿勢をつらぬきつつ、正統派の小説をまっすぐに書けるようになったのは、それだけの自信をつけたということを意味しているのだろう。しかしこの小説は小説で連作短編風にひとつひとつの物語を読み込むという楽しみ方もありそうだ。

ちなみに僕がこの小説の中でもっとも感情をゆさぶられたのは、都築と桜井のエピソードだった。

 

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