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2005年3月17日 (木)

フランソワのプロコフィエフとスクリャービン

フランソワというピアニストはラヴェルの演奏で有名だ。
「夜のガスパール」をアルゲリッチとポゴレリチ、そしてこのフランソワのを持っているので聞き比べて見ると、アルゲリッチは印象派のような、ふわっとした霧のような感じを出すのが上手で、一方のポゴレリチは点描のように音の細かいつぶが見えるような感じ、それに対してフランソワはマジックでぐいぐい書きなぐるような荒っぽさがあった。三者三様だが、僕はポゴレリチが一番好きだった。フランソワは他にピアノ協奏曲1番2番を持っていたが、ダイナミックで劇的な曲づくりで、愛聴盤になっていた。
 
今回聴いたのはそのフランソワのプロコフィエフのソナタ7番と、スクリャービンの3番。これが滅茶苦茶面白かった。
プロコフィエフの7番は多分彼のピアノソナタでは一番有名な曲で、大学時代所属していたサークルで友人が弾いていてとても印象深かった。いろいろな人が録音していて、結構たくさん聴いている。今回もこのCDと一緒にプレトーニョフの録音も図書館で借りてきて聴いたのだが、そちらは今ひとつだった。
さてフランソワのプロコだが、テンポは一体どうなってるのというくらい好きに揺らしていて、アクセントはジャズピアノのようにがつんがつんと鳴らす感じ。これが7番のノリに素晴らしく合っていて、今まで聴いた演奏は何だったんだろうと思うくらい。個性的というのでは、ホロヴィッツにはる感じだった。(ちなみに僕はホロヴィッツも大好きだ)。
 
スクリャービンの3番は、まだ彼が強い影響を受けたショパンの雰囲気が相当残りつつも、音楽の全体的な統一感が高く、また後期の神秘的な雰囲気も適度に入ってきていて、僕の一番好きな曲だった。楽譜もかつては持っていて、ちょっと挑戦してみたこともあるのだが難しくてあきらめた。
こちらもフランソワは、曲のイメージをくつがえすような演奏をしていて、必ずしも好みというわけではないが、大変楽しめた。
 
 

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コメント

 社会の中での全体的な価値観と同じように、個人の価値観も時代や年齢ともに変化していくと思います。ひとつのことに関する価値観を時間軸でみてみると、最初の出発点は「このことに関してはこうでなくてはならない」という、非常に狭量なものであっても、いろいろな出来事や経験、人との出会いなどによって、より多様なものを受け入れ豊かになっていくと思います。(しかし、その反面、最終的には「なんでもあり」ということになり、それはもはや価値観とは呼べなくなる可能性だってあるわけですが)
 私もラヴェルが好きで、CDを持っているのですが、ラヴェルを受け入れられるようになるのに随分時間がかかったように思います。まず、バッハやモーツァルトだけを聴いたり弾いたりしている子供の頃には、ラヴェルを含めたフランス近代音楽なんか音楽じゃないと思っていました。だって旋律があるんだかないんだか分からないんだもの。しかしそのうちに、ドビュッシーやフォーレなんかと出会い、旋律ばかりが音楽じゃない、音の雰囲気や色を楽しむ音楽だってあるんだ、と視野が広がり、だんだんラヴェルも受け入れられるようになってきたと思います。大学生の頃です。
 今や、ラヴェルどころではなく、今年のお正月休みはサイケデリックトランスを研究していたくらいですから、格段に私の音楽の世界が広がっていったというのは明らかです。
 「クラシック以外の音楽の良さを認められない人というのは、より未発達な価値観なのではないかと思わざるを得ない」、という小原さんの言葉を借りれば、私の音楽の価値観は発達し続け、少なくともクラシックしか語れないような人の価値観より発達していると言えるのでしょう。
 しかし、実際問題として、自分の音楽に対する価値観が発達しているとか未発達であるとかよりも、クラシックとそれ以外を一緒に語れる人って少ないことが、今一番、寂しいことです。

「しかし、実際問題として、自分の音楽に対する価値観が発達しているとか未発達であるとかよりも、クラシックとそれ以外を一緒に語れる人って少ないことが、今一番、寂しいことです」
はは、それ同感だ(笑)。価値観って、必然的に変わっていくものであって、べつに発達させたいから発達するものでなし、<上>と認めてもらったら、それでうれしいものでなし。それで食えるなら別だけど(笑)。

ちなみに、僕は神谷郁子さんのところでも書いたけれど、一つのことに打ち込んでいる人たちをライバル視しています。でも「ライバル視をしている」というのは相手を認めている、ということでもありますよね。
クラシックしか聴かず、他の音楽に関心をもてないという人がいたとしても、その人が聴く音楽の世界がとても深遠で、とても僕なんかおよびのつかないものがある、ということはいかにもありそうなことだし、そういう人から可能ならぜひいろいろ教えてもらいたいな、と思っています。
でもその一方で、本当に一つのことに深く深く打ち込んできた人は、その洞察力をよその分野にも当てはめることはきっとできるはずだ、と信じています。

だから、クラシックしか聴かない人だって、その人がクラシックの音楽を十分深く追求していれば、クラシック以外の音楽がどう素晴らしいか、という話も、きっと理解してもらえると思うんです。
音楽以外の話だって、音楽にからめることはきっとできると思う。

僕はそれで十分かなあ。

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