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2005年4月 8日 (金)

「ぷちナショナリズム症候群」「ネット王子とケータイ姫」 香山リカ他著

 二冊とも薄い内容で、まあそんなものかといったレベル。これまで読んできた中公新書ラクレはどれもそんな読後感で、編集方針がそうした下らない本を生み出しているのだろう。

 香山もあまり自分の専門と直接関係ない話なので、専門家ぶるために、ラカンの鏡像概念とか、ベイトソンのダブルバインドといった専門用語を、必要もないのに使って見せるのもいやらしい。

 

ぷちナショナリズムのほうは、サッカーなどでの日本チームファンの若者の応援の盛り上がりとかがその例として挙げられている。でも、香山本人も言うように、日本のファンたちは、ゲームはゲームとして割り切ってその場でだけ盛り上がっているわけで、「敵」チームを、それが選ばれてきた国家と同一視したりしていないのだから、そういうのを「ナショナリズム」というのもどうかな、と思う。香山は、彼らの屈託のなさを、あまりに考えなしだとして危険視しているのだと思うけど??ただしその書きぶりは曖昧なのだが??、僕には彼らの屈託のなさは真性のものだと思われる。ゲームはゲームとして切り離して考えられるだけの余裕があるから、例えば、だから逆にそれを政治化しようとする北朝鮮を気味悪く感じるのだろう。他者を排除し、自分さえ良ければいい、というような狭量なナショナリズムではなく、山崎正和が言うように、ひとつのお約束として、みんなでそれぞれの自国を応援しあっているに過ぎないように思われる。香山は、山崎を引用した上で、彼のそうした見方に疑問を呈するのだが、それをくつがえすに足るようなデータを何かひとつでも出すわけではない。連想ゲームのようなきわめて散漫な構成の文章となっている。

 

一方、ネット王子のほうは森健との共著だが、前半の、香山によるマスコミ批判はそれなりに意味があるかもしれない。佐世保の小学生殺害事件などのように、ネットなどが関係した事件が起こると、「それみたことか」というように、それ自体根拠のないネット批判がマスコミからあふれでてくる。そしてさらにマスコミに便利に使われるポピュリストな学者たちがいる。そういう輩を、単に相手にしないのではなく、きちんとたたきのめしてやることは、やはり必要なのだと感じる。あのいんちきなゲーム脳の批判も、やっぱりできるだけ多く声をあげるべきだろう。

それにしても小中学校を仕事でしばしば訪問するのだが、その訪問先に、あのゲーム脳のポスターが、どうどうと保健室の前の掲示板に貼ってあったりするのを見るにつけ、先生方の科学リテラシーの低さにうんざりさせられる。もし彼らが確信犯で、ウソとわかりつつ、単にこどものゲームをやめさせたいばかりに利用しているんだったら、学問をなめきっている。

ちなみにこの本では、ゲーム脳をきちんと批判した斉藤環氏のインタビューを一部引用しているのだけど、それはここで読める。

 

後半の森健は、こどもたちのネットやケータイ利用のルポだけど、いい加減な取材では、読者に「そういう例もある」ということだけを伝えることしかできない、という好例ともいえる。そこで取り上げられた例が、全体のなかのどのような位置にあるのか、ということを示すデータなしには、ほとんど何の意味も持たないだろう。そりゃー、何百万もいる子供のなかにはネット漬けの子がいたりしてもおかしくないし、逆にぜんぜん使わない子がいるのも当然だ。それらの例を適当にピックアップして紹介されても、日本のこどもたちの状況は何一つわかったことになどならない。却って、少ないサンプルからの偏った印象で文字通りの偏見を植えつけられるのが関の山だ。

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