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2005年4月 8日 (金)

ぼくたちの洗脳社会 (岡田斗司夫 著)

 実に論理的で美しい構成で書かれた本である。岡田さんの最初の本ということで、そうした理想をかたちにしたものだったんだろうなと思う。10年前に書かれた本であり、内容は今となっては当たり前に思えるが、逆に10年前に、現在の事態をよく予想しているともいえる。

 <洗脳社会>という言葉について言えば、モノよりもイメージが重視され、価値観が多様化し、個性がより重みをもつようになる、ということからすれば、すでに言われていた理論で十分表現可能なことだろうとは思う。実際<洗脳社会>という言葉が流通しなかったのも、一つにはそうした理由によるだろう。

他者からどのように見られるかが重要、というようなレベルであれば、アダム・スミスがすでに指摘して、そうした事実に基づく精緻な経済学理論を作り上げている。ただ今の事態がアダム・スミスの頃と大きく違っているのは、価値観の多様化とネットワーク的な並存状況なのだろう。それを担っているのが、双方向型のメディアというわけだ。彼の述べる新しいネットワーク型の人格も、古くはジンメルの都市型の個性だろうし、あるいはゴフマンが描いた演技する自己とそう変わったものではない。ただその程度がさらにさらに進んでいるだけだ。

ひとつ重要な点で、これは違うのではないか、という点があるとすれば、人間関係が浅く広くなる、ということだろうか。僕自身が行った非常に小さな規模の、もしかしたら怪しいかもしれない調査によれば、携帯電話の普及により、大学生の人間関係はより保守的に、狭く深くなっていた(この論文、ネットでまだ公開してませんね。後でUPしておきます)。もちろん「狭く深く」というのは、どのレベルを<友達>と定義するかにもよる。携帯電話の電話帳に登録している、というレベルの人間関係は広がっているが、その携帯でいつもコンタクトを取っているレベルの人間関係はむしろ狭まっているようだ。また携帯電話やインターネットを通じて、大学入学後も、高校時代の友人との関係もより継続している傾向がみられる。長山さんが指摘しているように、インターネットで友人ができるにしても、価値観が近いもの同士が付き合うということになれば、「広く浅い関係」とは違ったものになるだろう。これはより大きな規模の調査できちんと確認したいと思っていることである。

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