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2005年5月 1日 (日)

ラ・トゥール展

 下記のコンサートのついでに国立西洋美術館のラ・トゥール展も訪れた。
     
 全世界的に大ブームとなっているフェルメールの二匹目のドジョウを狙うような雰囲気の企画だったが、それなりに満足度も高かった。
 とにかく真筆とされている作品がほとんど残っていないため、今回の展覧会にもかなりの数、模写が並ぶのがとても興味深い。同じ作品の模写が二種類おいてたったものもあったり。これだけ模写があると、真作とされている作品との筆致の違いが気になるのだが、ほとんどのものはちょっと見ただけで僕のような素人にも違いがわかった。どうしてラ・トゥールの「ふわっとした」感じが出せず、色などがどぎつくなってしまうようなのだ。
 ラ・トゥールの持ち味の一つは、炎のような光源による照明効果のようだが、それらはどうにも「やりすぎ感」があって、僕はもう少し地味な作品にひかれた。それにしても、昨日見てきた宇都宮美術館でも思ったのだが、カラヴァッジオの革新というのは相当に影響力があったのだなということを今日も再び感じさせられた。
 
 もう一つ、小企画展の「マックス・クリンガーの版画」もなかなかインパクトがあった。上流階級の女性が誘惑され、恋に落ち、幸福の絶頂のまま、結婚せずに妊娠してしまって、不道徳ということで噂にさいなまれ、出産の際に死んでしまう、というようなストーリーの連作が公開されていた。複製でよいからできればゆっくり手にとって眺めてみたい作品だった。

 残りの常設展は、極端に言うと一人一作品というような感じであまりに作品のバラエティーが広く、見ていて本当に疲れた。単に持っているものをそのまま見せます、というのではない見せ方というのがあるだろうに、と感じさせられた。集め方にしても、松方コレクションにはそれなりの一貫性を感じるので、それを軸に収蔵品の方向性も決めていけばよかったのではなかろうか。今からでも遅くないので、交換などを通して、独自の路線を歩んでいって欲しいものだ。西洋美術館などという名前も変えてしまったらよいように思う。
 
 とはいえ、高校生の頃から何度かこうした企画展のたびに見てきているものなので、自分としての感じ方の変化などは面白かった。ちなみに高校時代に大好きだったのはコローやクールベで、少し暗い感じの自然描写にあこがれていたらしい。今はその反動か、そうしたものにはあまりピンとこなくなってしまっている。

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