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2005年8月11日 (木)

日本人の政策判断能力はなぜ低いのか (小泉氏の決断について)

 個々の政策に対する賛否はともかくとして、小泉氏がとろうとしている「郵政民営化に反対した議員は公認しない」という姿勢は評価したい。これによりやっと「自民党(or公明党)に投票するということは、何に賛成し何に反対するのか」ということがやっとはっきりするようになった。

これまでの日本の政治の最大の問題点はそれぞれの政党の公約がみな総花的で、その裏について考えずに表面の文字通り聞いていたら「どの公約もみな実現できればすばらしい!」というようなものばかりだった。どれも素晴らしいのだから、国民の側では選びようもなく、一般の国民、特に若者は政治に無関心になるばかりだ。そのような選挙の勝敗は、特定の利益団体の応援の有無で勝敗が決まってしまうので、一般の国民の利益をおきざりにして、政治家はお返しにそうした団体へ利益誘導を行い、悪循環が続く。そうしたなかで、そんな利益団体との関係の薄い人々、とくにしがらみから自由な若者を一層しらけさせる結果になっていった。

 こんなことになってしまった原因として真っ先に考えられるのが、自民党の万年与党状態である。彼らが官僚達とセットになり、そこそこのレベルの政策を取り続けてきた結果、国民が選挙で政策決定に関わらなくても、政治が「おまかせ」にされてきてしまったのである。そのため与党と野党の対立の軸が、「現実主義VS理想主義」のようになってしまい、何らかの痛みを伴うような政治判断は「責任与党」である自民党に押し付けられ、党内部で決定されるようになってしまった、という図式である。

 このような状況で野党が「責任政党」としての一角を担おうとし、理想主義を捨て現実路線に向かえば、党のアイデンティティを見失ってしまい、元も子もなる、というような状況になってしまっていた。そもそも国民は自分自身のしっかりした政策判断を行った上で、その政策判断に一致する自民党を支持しているわけではなく、「責任与党」である自民党がとっている政策だから大丈夫だろう、という信頼に基づいての支持に過ぎないわけだから、野党が現実主義的な対案を出したところで、まともに検討されることも無い、と言う状態に終わってしまっていたものだと推測できる。

 さらにこうした自民党が安定多数を握る状況の中で、政策的には互いに大きな違いのない派閥間での政治力学によって、政治権力だけが派閥の間を移動するということが、通常化することによって、マスコミも政治の本質がそうした派閥闘争にあるかのような報道を続けるようになってしまった。これにより、政治に関心を持つということはすなわち、そうした権力闘争の人間模様に興味を持つことだというようになってしまったのだと考えられる。このことは、日本におけるいわゆる「政治評論家」なるものが、どういう存在であるか見れば一目瞭然であると言っていい。

 このように、上記の仮説は、日本人ひとりひとりにきちんとした政策判断能力が育たず、いつまでたっても日本の政治が貧しいままなのはどうしてなのか、ということを説明するものである。だがそもそも政策判断能力とは一体どういうものなのか? 私はその基本を「Aという価値を追求した場合には、副次的なネガティヴな効果としてBという結果があらわれる。一方Bというネガティヴな効果を生まないようにするとAはあきらめなければならない」というような課題において、Aという価値と反Bという価値のバランスをどこに求めるのが良いのかを考える能力、さらにその大前提として、そもそもAとBとが因果関係で結ばれているというのは本当なのかということを洞察する能力、この二つが重要であると考える。

Bのようなネガティヴな効果を生まないことに関しては、どんどん進めていったらいいだけで、政治的な問題にはならない。単に技術的な問題だ。

こうした能力を育てるためには、もちろん教育も必要だが、それだけでは不十分で、そうした能力を実際に生かす場、すなわち選挙などによる政治参加によって、実際に政治がよくなる、というインセンティヴが欠かせないと考える。もちろん「政治がよくなる」というのは集団単位の利益であり、それと個人のインセンティヴとは異なったものではあるが、集団にとっての利益が達成されるために、その集団は自然に個人レベルのインセンティヴを用意するようになると考えられる。

小泉氏の選択は、このような方向で日本が変わっていく一つの機会となりうるものである。マスコミや対立勢力がこれを単なる権力闘争として貶めるかもしれないし、そうした分析はもしかしたら彼の個人的な意図として当たっているかもしれない。しかし彼の個人的な意図がどこにあろうと、上記の仮説が正しいのであれば、これが日本の政治を正常化させる非常に重要な機会であることには何ら変わりはないのである。

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