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2005年11月25日 (金)

はじきよと栗コーダー in『ウクレレ・フォース』

 うちが愛するバンドの二大巨頭が<はじめにきよし>と<栗コーダー・カルテット>で、友達がうちを訪れたり、車に乗せたりするたびに彼らの音楽の宣教に努めているのだが、残念ながらまだ「これ大好き」という言葉を聞いたことがない。TVなどでは数秒のちょっとしたBGMなどとしてさりげなく使われていたりもするから、大抵はどこかで耳にしているはずなのだが、歌の入らないインストルメンタルということもあって、そうした音楽をとりたてて聴きたい、とは思わないのかもしれない(注1)。
 だとすれば、彼らのアルバムを繰り返し聴き、布団を干したり洗濯物をたたんだりしながら、よく口ずさんでいたりするうちの夫婦の趣味は、自分らが思っている以上にかなり「変わっている」ということにもなるのかもしれない。

 バルトークやマーラー、現代の実験音楽とか、ちょっと変わったジャズとかを好んで聴いていたりして、「変わっている」と思われるのは自分でもわかるんだけれど、耳ざわりもよく、映画やアニメのBGMにも採用されているようなそういう音楽に、それほどみながヒットしない、というのはちょっと不思議だ、と思ってもみたりする。

 もっとも、他の人がそれほど深く気にかけない存在だからこそ、それをとりわけ好きになる、という心理はあるのだろう。何かを好き、というのもある種の自己表現だったりするからだ。
 はやりの音楽やファッションなど、「誰もが好きになるものを自分も好きになる」という心理の中にさえ、「流行により敏感な自分」だったり、「若者としての自分」だったり、差異化する心性というものの存在を見てとれる。仲間意識というような集団への同化だって、その仲間を他のその他大勢から区別する差異化とセットになって存在している。

 そういう意味でいえば、うちの夫婦も単に、その他大勢からの差異化として「はじきよ」や「栗コーダー」のファンだったりするだけではなく、「それを好きな私達」という夫婦のキズナを確かめ合うひとつの手段にしている、という面も、よく考えてみると否定できないように思う。そういう仲間意識を、他の身近な人々とも共有したくて「はじきよ」や「栗コーダー」を聞かせたりしているのだろう。

 「はじきよ」と「栗コーダー」に共通するのは、ピアニカやリコーダーといった、学校で強制的に習わされる教育楽器を用いているところだ。
 このことから想像するに、僕らが彼らの音楽が好きな理由のひとつは、学校での音楽の時間に、ピアニカやリコーダーという楽器に、それなりにまじめに取り組んできて、ピアニカやリコーダーに対するある種の先入観がしっかりできている、ということにあるのだろう。ピアニカやリコーダー、というのは「安っぽい音」しかせず、高度な演奏などは不可能な「コドモのオモチャ」というイメージだ。それなりに一生懸命に取り組んだからこそ、そうした壁というものを感じたのだろう。
 さらに、自分では別の楽器もやっているから、そういう「コドモのオモチャ」から卒業した、という意識もある。
 もちろんリコーダーに関しては、古楽の立派な楽器で、ルネッサンスからバロックにかけて活躍していることはちゃんと知っているから、そのような種類の音楽の文脈で使われれば「大人の真面目な音楽」であることはわかっているけど、それと小学校で習うような「ポヘポヘ」としたリコーダーははっきり別物だと、信じて疑っていなかった。

 彼らの音楽の魅力のひとつは郷愁で、どこか懐かしい感じがするのは、ひとつには子供の頃になじんだ音にあると思う。それは僕にとって、近所の子供の弾くソナチネやブルグミュラーが懐かしいのと同じような所にある。
 でもそれなら、こどもたちが弾くようなピアニカをそれだけ愛せるか、というと全然そんなことはなくて、彼らはそうした楽器を使いながら、自分がその楽器から想像したこともなかったような音楽を達成している、そういう驚きがある。そこが違う。

 もっとも、「その楽器から想像したことのない」音楽、というだけなら、たとえば ピアニカでアコーディオンのような音楽をやってみせればそうしたギャップ感は味わえる。もっともそれは、このいかにもアコーディオンのような音楽を、あのピアニカで演奏している、ということを知っていてはじめて得られるギャップ感だ。はじきよの場合、僕はそれをはじめて聞いて雷に打たれたような思いをしたとき、ピアニカで演奏していると思っていたわけではない。
 
 そこにはやはり、こどもの頃になじんだ、あのピアニカらしい音のなりが残っているし、はじきよの場合、それは音色だけではなく、メロディーやリズムの全体にそうした郷愁を感じるような音楽づくりがなされている。特に初期の作品の場合、手の届く感があり、自分でも演奏してみたい気にさせられる。実際我が家では、きよしさんの吹いていたのと同じヤマハのごく普通の水色のピアニカを購入し、CDに合わせて吹くのがしばらく流行っていた。

 そこで打ち壊されているのは、「ちゃんとした音楽<>子供の遊び」という二項対立だ。もしピアニカを使っていても、それが完璧にフランスのミュゼットのような音楽を写しとってしまえば、それは単に「ちゃんとした音楽」をもう一つ生むだけにすぎないし、そこには大した驚きはない。単にこのピアニカであれをやるのか、という超絶技巧に驚かされるだけだ。たとえば自分の知り合いがそうした超絶技巧の持ち主であれば、それはそれなりに驚かされるが、この広い世界に超絶技巧の持ち主がいること自体は特に驚きでもなく、そうした超絶技巧にすごさを感じることは、何の自分の差異化にもつながらない。
 
 「ちゃんとした音楽<>子供の遊び」という二項対立のぶち壊しを「はじきよ」以上に明確に意図して行い、はっきり成功しているのは「栗コーダー」だ。
 
 今回この文章を書くきっかけになったのは、ウクレレを用いたグループが集まって、ビートルズとかプレスリーとか、誰もが知っているような曲を、それぞれのグループがウクレレを用いて編曲して1枚のアルバムにまとめる、というシリーズのアルバムだった。そのシリーズの全体に「はじきよ」と「栗コーダー」が参加しているのだが、とりあえずその中から「ウクレレ・ジブリ」と「ウクレレ・フォース(スターウォーズの音楽)」を購入してみた。もっとも「ウクレレ」を用いていると言っても、「ウクレレ」だけで編曲されているのではなく、「はじきよ」ならいつも通りピアニカやノコギリも用いているし、「栗コーダー」は、ウクレレにプラスしていつものリコーダーやチューバ、サックスなども使用している。

 さて、このアルバム、まずCDの表紙絵からして、スターウォーズのXウィングを模した戦闘機の両翼がウクレレになっていたり、R2D2らしき白い小ロボットがよく見るとウクレレのかたちをしていたり、とベタな遊びで楽しませてくれるが、CDのターンテーブルに置くやいなや、一曲目から脱力系の心地よさに満ちている。
 
 スターウォーズやのジョン・ウィリアムスにしても、ジブリの久石さんにしても、オーケストラを用いた壮大で迫力ある、重々しい音楽を作り上げているのだが、それが「栗コーダー」にかかると、「ポコポコ」「ヒヨヒヨ」といった一言で言うと<かわいらしい>音楽に変わってしまう。
 ふつう、元のイメージがはっきりした音楽を、スケールダウンして聴かされると音がどうしても足りない感じがして不満が溜まるものだ。たとえば去年ビートルズの最後のアルバム「レット・イット・ビー」から、オーケストラなどのアフレコを取り去ったバージョン「ネイキッド」を聴いたが、変化のない繰り返しにがっかりさせられた。
 しかし「栗コーダー」の音楽は、そのギャップがむしろ楽しめるような仕掛けになっている。もちろんそのギャップを意識的に狙っているのは明らかだが、自分たちの音楽への妥協は一切なく、仮に元曲を知らなくても十分独立した音楽として成立する、そうした強ささえ感じられる。リコーダー自体はかなり高度なことをやっていて、真似できそうで真似のできないそんな演奏になっている。

 この価値転換のひとつの機能を担っているのが、<かわいい>という感性であることは、おそらく間違いないだろう。僕の仮説では、こうした感性は、日本の若い女性たちの文化的な戦略とともに育てられてきたものであり、そうした文脈抜きで、日本文化圏の外では受け入れられないだろうと思っているのだが、海外の人がこの音楽を聴いたらどう感じるのか、大変興味深いところだ。

 なおこのウクレレシリーズは以下から試聴可能だ。感想をぜひコメントしていただけたらうれしい。
http://rollingcoconuts.com/contents/works/#force


注1 もっとも「はじめにきよし(以下、はじきよ)」はまだまだ相当マイナーで、これなら知ってそうというのはちょっとない。一方「栗コーダー・カルテット(以下、栗コーダー)」はかなり有名なはずで、NHKのBSを見ている人なら、BSのマスコットになっているななみちゃんが画面に出るたびに彼らの音楽を聴いているはずだし、映画の「クィール」のサントラなども担当している。ちなみに僕らがはじめてはまったのは「あずまんが大王」のサントラから。

はじきよの音楽は
http://www.hajikiyo.com/ のHPで試聴することができる。

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コメント

小学校で教師をしています。
ふとしたことから「あずまんが大王」を読み、DVDをレンタルして、BGMにはまってしまいました。特にリコーダーの響きが気に入ったのです。小学生に聴かせて、リコーダーでもいっぱしの音楽ができることを教えたいと思いつつ、未だ低学年担任なので、実現していません。

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