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2005年12月 3日 (土)

「下流社会」 三浦展

 「家族と幸福の戦後史」「ファスト風土化する社会」など、鋭い視点で大変興味深い本を書き続けている彼だが、ベストセラーにもなった今回の本は、読んでいてかなりイタかった。
 ごく少数の限定されたデータから大胆な結論を導いているところは、これまでの本も一緒なので、データの扱いのいい加減なところを問題にしたいわけではない。それならそれで、ここに書かれたことは単なる一つの仮説と位置づけ、その検証はきちんとお金をかけて調査しなおせばいいことだと思う。
 
 不愉快になった理由は、個人的に内容がイタいだけでなく、社会に対する不安や落胆を感じさせる内容になっているからだろう。読んでいて元気の出るような本ではない。

 ただし、そうしたイタい部分もよくよく考えると数字のトリックであったこともわかり、安心できた。

 この本において(一見)興味深かったポイントをいくつか挙げると

1 団塊ジュニアやさらにその下の階層意識が、年を取るにつれて下がっていくということ。

 「階層意識が、年を取るにつれて下方修正されていく」というのは日本ではかつてなかった事態だ、というのが筆者の主張だが、それは確かに注目に値することだと思う。またこのデータは内閣府の調査によるものだから、信用に値する。

 僕自身は年齢的にはこの直前の世代だが、大学院に進学して社会に出るのが遅くなった分だけ、同じような実感がある。
 
 なお、この変化に関して筆者は「少年期に豊かな消費生活を享受してしまった世代であるため」と解釈しているが、この解釈はおそらく間違っている。社会全体としての消費の豊かさは、こども一人一人の階層意識を全体として上げることにはつながらないはずだ。こどもは年齢的に輪切りになった同年齢集団で生活しており、その同年齢集団の中で自分を位置づけているはずだからだ。自分自身を振り返ってみても、自分が「高い階層にある」と感じた原因は、消費生活などよりも私立の進学校に通い、京大に入学したことにあった。
 
 ここから考えると、彼らが若い頃に持った高い階層意識の本当の原因は、大学進学率の上昇にあり、それが下がったのはバブル崩壊による就職難によるものだろうと考えられる。大学生は、自分が大学生であるというだけで、自分の階層を高めに誤認する傾向があることは著者が行った調査からも確認される。大学院の進学率も上がっているが、それも同じ効果をもたらしたはずだ。

「消費中毒ですっかり勤労意欲をなくした者はフリーターとなり(p.102)」というのも、おそらく事実誤認であろう。フリーターは勤労意欲をなくしたわけではなく、個性を強調する教育の効果や大学進学率の上昇などにより、「自分にふさわしい」と考える仕事のレベルが上昇したにも関わらず、全体的には不景気でかつてのようによい条件の仕事につけない、というギャップに直面し、フリーターを選択せざるを得なかったというのがよりありそうなことである。

 しかし原因がなんであれ、こうした文字通りのアノミー状況(注1)は社会不安を拡げることになるだろう。そうしたときに文科省のやるべきことは、大学の入学定員総数を削減し、進学率をまず下げることなのに、利権に蝕まれ何のリーダーシップもはっきできずにいるのは大変悲しいことだ。

2 団塊の世代と団塊ジュニアの世代では、「自分らしさの重視」と社会階層の関係が逆転する。団塊の世代では、上層のものほど自分らしさを重視するが、団塊ジュニアの世代では下層のものほど重視する。

 これは一体どういうことなんだろう。
 後者の団塊ジュニアに関する著者の解釈はこうだ。
 個性、自分らしさを追求するものは、仕事においても、自分らしさをつらぬこうとするので低収入となり、低階層となる。また「自分らしさ」を強調するのは、学力など、社会の平均的なモノサシにおいて脱落した者に多い、という説明もしている。ある種の「すっぱいブドウ」の論理であり、単なる言い訳、とも考えられる。
 このことをさらによく考えてみれば、著者の考える因果の方向性とは逆に、「自分らしさ」を強調するから下層になったのではなく、下層になったから、自尊心を保つ言い訳として「自分らしさ」を強調しているにすぎないことになる。
 
 そのように考えれば、「自分らしさ」を強調する見方(というよりもアンケートでの回答傾向)は、家庭の中で得たようなものではないということになり、上層の家庭で育ったものが「自分らしさ」をあえて強調しない理由もわかる。

 著者は述べていないが、調査の中でも「自分らしさ」の中身として、上層の女性ほど「個性的」で「自分の考えをしっかりもち」「大胆」で「自己主張があり」とポジティヴなものが並び、下層のものほど「のんびりした」「地味な」「目立たない」というものが多くなる、という結果が出ている。これは、結局のところ「自分らしい」ということが、ポジティヴでないことの言い訳になっているとさえ考えられる。

3 趣味に関して、男性は下ほどコンピューターを趣味とする割合が多く、女性は下層のものほど、楽器を演奏し、絵を描き、踊るものが多い。

 僕自身趣味に打ち込んでいる者として、またそうした趣味に打ち込んでいる女性に親近感を覚えている者として、そうした「趣味の良い」人たちが、自分を下層と見ているというのはかなりショックだったが、よくよくデータを眺めるとそれほど気にするほどでもないようだ。
 というのも、女性では下層のものほど「楽器を演奏し、絵を描き、踊るもの」の割合が高いというが、よく見るとその人数はどれも2、3人であり完全に誤差の範囲内である。
 またアマゾンのレビューでもある人が指摘していたが、この調査はWEBでたまたまそのHPを見た人が答える、というような「街頭調査」よりさらに安易な方法で行って調査をしているため、回答者のほとんど全てがコンピューターを趣味としている、という異常な結果が出ている。女性でさえ、コンピューターが趣味だ、というのが全体の7割程度なのだ。
 このような偏った人たちだけを取り出して、さらにその中で、趣味の階層差を見ること自体がナンセンスともいえる。

4 派遣・契約社員は子供が持ちにくい。

 個人的に、うちの妻がこうした形態で長いこと働いていたので気になったところだ。しかしこれもよく考えてみると、派遣社員で子供を持っているものが少ないのは、単に派遣の女性は子供ができれば主婦に移行しやすいからだと気付いた。常勤の女性の一部は出産・育児休暇などで仕事を続けようとするだろうが、派遣では辞めざるを得ないだろう。それだけのことを意味している。

というわけで、まともな結果は1だけなので、読むに値する本とはちょっと言いづらいかもしれない。

 
 
注1 デュルケームの用語。自分の社会的位置づけがはっきりしなくなることにより、欲求が適切にコントロールされなくなること。

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コメント

3の調査方法に関して、この部分についてはWEB調査の結果ではなく、私の誤解に基づいている。しかし、となるとパソコンを趣味とする人の割合が全体でこんなにも高い理由は他に求められることになるが、一体どういうことなのだろう。調査方法に何らかの偏向があったとしか思えない。

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