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2005年12月18日 (日)

最近行った演奏会・展覧会

2月1日 コブリン・ピアノリサイタル(浜離宮朝日ホール)。
 春の演奏会ですっかりファンになったコブリン、今回はクライヴァーン・コンクール優勝の凱旋コンサートという位置づけなのだろう。前回ほどはよい席がとれず、音がこもって聞こえる部分があったのが残念だが、演奏は期待通りだった。
 ブラームスのラプソディーは、これまで聴いてきたいろいろな人の演奏とそう変わらない内容だったが、幻想曲集には、前回の演奏会でも感じたような「作曲者が憑依する」ような感覚があった。ブラームスがその場で即興演奏しているような、感性のほとばしりを感じることができた。
 ショパンのスケルツォは、これまで余りにたくさんの人の演奏を聴いてきて、今さら面白いと思うわけもないだろうと思っていたにもかかわらず、細部の明晰性と全体的な構成力の双方に優れた姿には圧倒された。特に一番と二番は圧巻だった。
 今回一番素晴らしかったのはアンコールのモーツァルトの小品(K.400 アレグロ 未完のソナタの断片)で、その軽やかなタッチの自在さにすっかり心を奪われた。ショパン同様、モーツァルトも「こんなもの」みたいな感じができあがっていたので、聴いていたときにはハイドンのマイナーな作品だと思い込んでいた。それをここまで崩されたのははじめて。

 12月3日 北斎展(東京国立博物館)、プーシキン美術館展(東京都美術館)、秋吉敏子 ピアノソロライブ (宇都宮市文化会館)

 前回断念した北斎展、プーシキン展をどうしても見たくて、早起きして上野へ向かう。開館時間ちょうどくらいに到着したときには、最終日の前日ということもあり、国立博物館前には長い行列が出来上がっていた。
 北斎については、以前津和野の「葛飾北斎美術館」で少し見たことがあり、「大体こんな感じ」というイメージを持っていたのだが、初期から後期までの作品をこれだけそろえられてはじめて、そのイメージが後期のものに偏っていたことを知った。
 とにかく画風は自在闊達で、様々な表現技法を自由に試みながら自分のものにしている姿が見事。北斎と言えば後期の富嶽三十六景が有名だが、そこに至るまでの若い頃(宗理期)の作品が特に素晴らしかった。後期の作品は確かに完成度は高いのだけれど、技術が安定しすぎていて、面白みはむしろ若い頃のほうが上という印象があった。ただし後期の作品は有名だから、単に見慣れていたり、あるいは混んだ展覧会で、後半ちょっと疲れてきていたせいもあったかもしれない。

 午後はプーシキン美術館展へ。傑作ぞろいで楽しかったが、見慣れた人の見慣れた画風の作品がほとんどなので、これという驚きはなかった。安心して楽しめる感じ。
 強いて言えば、大好きなセザンヌのまだ見たことのなかった作品、「池にかかる橋」はとても良かった。全面がセザンヌらしい太い線で埋め尽くされている中、地上の木々とそれが水に映る景色との対比や、木々の木漏れ日の光の表現が大変美しかった。
 また、ゴッホの作品の一つ、「刑務所の中庭」は、あのいつものどぎつい色の表現の代わりに、陰影のある静かでかつ劇的な表現がなされていて、好感を持った。解説を読むと、ギュスターヴ・ドレの版画の模写ということで、ちょっと納得。初期のマチスのフォーヴっぽい作品も良かった。

 見終わったときには、朝からの疲れで疲労困憊していたにもかかわず、その後、入場無料だった都展も一回りした。たぶんアマチュアの人たちが、自分の好きなように描いた様々な傾向の作品がずらりと並び、プーシキン美術館展よりも楽しかった。
 とはいえ、こうした無名の人の作品を見るのに、お金を払う気はしないだろうなと思い、また館内のおみやげコーナーに並んだ、美しさにおいては原画とほとんどひけをとらない数十万円の複製画を見るにつけ、こういう展覧会って何なんだろうとは思ってしまった。
 自分自身の記憶を呼び覚ますひとつの手段として購入する図版などでは、確かにあの美しさは十分に再現できていなくて、それは単に「カタログ」に過ぎないのだけれど、現代の技術を駆使した複製画は、ほとんどホンモノと見分けがつかないレベルに達している。わざわざ東京まで出てこずともそれらを近くで見ることができるなら、十分だとも思う。
 しかしただそこにどれだけの対価を払うか自問自答すると、「それなり」ということになって、どのような作品を並べるにしても同じようにかかる様々な経費を考えると、そうした複製美術館としての収支は合わないことになってしまうのだろうか。
 とはいえ、宇都宮美術館が収集しているポスターなどは、いわばそういう方向で地方の美術館の存在意義を考えていこう、ということなのかもしれない。

 疲れきった状態で電車に揺られて帰ってきて、夜は秋吉敏子のライブへ。
 以前から思っていたことだけど、ソロ・ピアノのジャズはあまり面白いものではないな、というのが正直な感想。席が右のほうで、手の動きなどが全く見えなかった、というのももしかしたら関係しているのかもしれない。手の動きが見えないのでは、あまりコンサートに行く意味はなくて、ライブのCDを目をつぶってヘッドホンで聴いているのと変わらないな、と感じた。客席よりも舞台のほうが高いというのも、ピアノを聴く際には考えものなんだなあとも。

 12月15日 諏訪内晶子 チョーリャン・リン フランソワ・ルルー 
 ヨーロッパ室内管弦楽団(弦のみ)

 とても楽しい演奏会だった。
 諏訪内さんの演奏はかなり荒っぽく、特に低音部で少々雑な部分もあったし、共演者とも必ずしも息がぴったり合っているともいえなかったが、しかしそれにも関わらず、音楽を前に進める力が大変強く、スリリングで生き生きとした演奏だった。帰ってきてからクイケンのバッハを聞いたら、これが同じ曲なのというくらい違っていて驚いたくらい。とにかくテンポが異様に速くて、嵐のように駆け抜けるというような演奏だった。

 曲がバッハでかつオケも小さめということもあって、諏訪内さんはいつものようにオケと対峙しながら孤高な道を行くというよりは、軍団長のようにオケを一緒に引っ張っていくような感じがした。ヴァイオリンとオーボエの協奏曲では、オーボエが一人だけ管楽器ということで、諏訪内さんはソリストというよりはコンサート・マスターのようにオケと溶け合うような印象もあり、二つのヴァイオリンのための協奏曲では、彼女が第一ヴァイオリンを、チョーリャン・リンさんが第二ヴァイオリンをそれぞれに率いて前に進む、というような雰囲気が出ていた。
 ふだんCDで音だけを聴いているので、ときどきこうして生演奏に接すると、そういう視覚的な部分にいっそう気持ちが向かうようだ。

 


 

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» 今日は諏訪内晶子さん!(J.S.バッハ・プロジェクト2005@ザ・シンフォニーホール) [**♪* 今日もいい日 *♪**]
追記) 2005/12/18(日)2:00pmザ・シンフォニーホール 諏訪内晶子・J.S.バッハ・プロジェクト2005 [続きを読む]

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