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2006年4月 5日 (水)

文明崩壊

この本の主な論点は「人間の築き上げてきた様々な文明が衰退していくとき、その多くの事例において、人間自身による周辺の環境破壊がその衰退の主要な要因となってきた」というものである。

 崩壊した文明として取り上げられているのは、�@ 太平洋のイースター島やピトケアン諸島、そしてアメリカ合衆国南西部の乾燥地帯にあるアナサジといった周辺からほぼ孤立した小規模な文明 �A 中央アメリカ・マヤの巨大文明インカ �B 「ヴァイキング」と呼ばれるノルウェー人の高緯度における入植地、特にグリーンランド である。

 一方、上記と似たような危機にさらされながら人間の努力によって問題を解決しえた過去の事例としては�@ 周囲から隔絶されたニューギニア内陸部 �A 太平洋の孤島、ティコピア島 �B 鎖国した日本 が取り上げられている。

 この全ての例において共通しているのは、森林伐採というかたちでの環境破壊が、文明を自壊させる働きを持つ、という考えである。

 

 この本のインパクトは、人類の歴史の中で、あるいは現代の世界において、このような環境破壊による文明崩壊のパターンが、「我々の予想以上の」重要性を持っていることを示すことができるかどうかにかかっている。

 この「予想以上」というところは人それぞれだろうが、個人的には少々弱い印象がある。というのも、「従来、他の原因によると考えられていたものをくつがえす」という面が薄いからだ。前著「銃・鉄・病原菌」にはそれがあったが、この著作はそうした性格があまりない。

 例えば、ある一つの文明が滅亡する要因として容易に思い浮かぶのは、第一に軍事的な敗北であり、第二に(人為的ではない)自然環境の変動だろう。「生態系破壊による文明の自滅」という原因の重要性をアピールするのにもっとも有効なのは、かつて軍事的な敗北や自然環境の変動によると見られていた文明衰退の重要な事例に関し、それが「実は」環境破壊のせいだったのだとする戦略だったはずだ。もともとそうした原因についてほとんど印象のないイースター島の例などを持ってこられても、「そういうこともあるのね」くらいに終わってしまいかねない。

 著者自身が紹介しているように、実際にそのような議論は存在しているようで、たとえば、西ローマ帝国が崩壊したのは、教科書的な通説ではゲルマン民族の大移動によるということになっているが、実際には環境破壊による衰退という側面のほうが強かったのではないか、というような問題などが挙げられる。個人的にはできればそうしたものを読みたかった。*

 

 とはいえ、歴史における環境問題について、これまでほとんど勉強したことのなかった僕としては、はじめて知るようなことが数多くあった。

�@ イースター島について

 僕はこれまで「イースター島といえばモアイ」という程度の知識しかなかったのだが、あのモアイ、どうやって現在の場所まで運ばれたのか、これまで謎に包まれていたらしい。

あれだけの巨大な石像やその台座の石を運ぶにはそれなりの道具と人手が必要なはずなのだが、現在のイースター島にはそのような道具も人も存在していないのである。

だからこそ、より文化の発達したインカの民がやってきて、それを作ったのではないかというようなヘイエルダールの有名な説や、果てはお決まりの宇宙人説などが出てきたりしていたのだが、実際には、遺伝的にも文化的にも、イースター島に住んでいる人々は、他のポリネシアの島々との関連性が高く、材料さえあれば、あの巨像を作って運ぶための道具は、それらの技術で十分まかないえたことがわかっている。

その技術とは、石材を上に載せてすべらせるためのはしご状の長いレールと、石材を多人数で引くためのロープである。それらの材料はみな、他のポリネシアの島の森からなら手に入れることができた。

問題はそんな森など、このイースター島には一切存在しないことだった。イースター島の写真を見てもらうとわかるが、ここには最近移植されたものを除いて、森どころか小さな林さえ存在せず、低い草の生える荒地がずっと続いているだけなのだ。

http://kazuyosi-web.hp.infoseek.co.jp/

ではその木材はどこから調達されたのか? イースター島は隔絶した孤島である。それだけの量の木材がもしあったとしたら、それはその島自体をおいて他にありえない。

島の地層に残っていた花粉を調べたところ、現在は荒地の続くイースター島も、かつてはポリネシア最大級のヤシが生い茂る亜熱帯林に覆われていたことがわかったのである。

いったい何が起こったのだろうか? この場所で亜熱帯から乾燥帯に移行するような大きな気候変動が存在したわけではないことはわかっている。だとすれば、森が失われてしまった理由として考えられるのは、人間による乱伐くらいしか考えられない。おそらく彼らはまさにこのモアイを作って運ぶために大木を次々と切り倒し、森を永遠に失ってしまったのだろう。

もちろん木を失ってしまったことは、単にモアイを新たに建てることができなくなったことだけを意味したのではない。

貝塚などを調べてみると、彼らはかつて外洋を泳ぐネズミイルカを主な蛋白源の一つとしていたことがわかった。他のポリネシアの島々と異なり、島の周りに浅瀬のないイースター島では、カヌーで外洋まで出ないと、魚介類を手に入れることができないのだ。しかし、島から木が失われてしまったのと機を一にしてネズミイルカの骨はそれ以降の年代からは出てこなかった。そう、カヌーを作るための木材も失われてしまったからである。彼らはイースター島から自分達の力で外に出て行く手段を永遠に失ってしまったのだ。

ここから得られる教訓は、人は自滅につながるような環境破壊も自ら行いうる、ということである。その結果どうなるか、客観的には明らかなように見えても、様々な条件が重なれば人はそうしてしまう、ということだ。

そうした条件のうち、おそらく重要視されるべきは、<緩やかな変化>と<下位集団への分化>という要素だろう。イースター島の森は緩やかに減少していったので、最後の一本が打ち倒されようとしているときにはすでに<森は存在しない>ことは当たり前の状態になっていたのかもしれない。またそれが最後の一本であることも十分認識されなかったのかもしれない。もちろんこれは現在の、地球温暖化といった環境問題にもあてはまることだ。

またイースター島の社会複数の地域集団に分裂していたのだとすれば、自分達の集団だけが木を切るのを止めても、よその集団が切ってしまうだろう、という予期があり、全体での対応ができなかったのかもしれない。また階級が存在していたとすれば、高い階級のものは、低い階級のものが日々の生活のための薪が手に入らなくなっても、自分達の生活のための薪を決してあきらめようとせず、残りわずかになった木々の切り倒しを命じ続けたのかもしれない。こうした理由で高い階級の者は、問題の最終側面が近づくまで、問題の深刻さに気付くことなく、そして問題の悪影響に早い段階から強くさらされた低い階級のものは、そうした命令に逆らうことは許されなかったのだと考えられる。これとほとんど同様の構造は、エネルギー資源の南北問題にも見出すことができる。

�A ニューギニアについて

 文化人類学をかじったことのある人なら、ニューギニア高地が文化人類学者の最後の楽園であり、現代文明の影響をほとんど受けず、石器文明を維持している数少ない民族の住む地であることを知っているだろう。人類の進化を単線的な発達として理解しているものから見れば、石器文明に「いまだ」あるということは、日本で言えば縄文時代「程度の」文化と技術しか持ち合わせないということを意味するだろう。

 しかし持続可能性という観点から文化を評価するとき、ニューギニア高地はそれとは全く違った評価が必要となることがわかる。

 まずニューギニア高地が、その外側の世界とほとんど未接触だったということは、それ自身がほぼ完全に自給自足的な経済をこれまで数万年に渡って保ってきたということを意味する。しかも、例えばアメリカ大陸のように潜在的に高い生産力を持つ大地を未開発にとどめ、白人の侵入を許したのと違い**、ニューギニア高地は、とても魅力的とは言えない脆弱な環境の中で、生産力を高める最大限の工夫がなされているようだ。

 しばしば、地力の過剰な搾取というかたちで二律背反的になりがちな生産力向上と持続可能性の維持に関して、この本ではいくつかの技術が紹介されている。その一つは植樹であり、もう一つは土壌の侵食を食い止めるための段々畑作成のノウハウである。

 たぶんこうしたローカルな知識の奥深さは現地で暮らし、そこの人とよほど仲良くならなければたぶん十分伝わらないだろうとは思う。ただ一つ分かるのは、土地を搾取するようなスタイルでの農業は早晩破綻するだろうこと、それまでにこうした「伝統的な」スタイルの農業や社会システムから我々が学べることはまだまだたくさんあるに違いない、ということである。

�B 日本について

 日本に関する記述はどこまで信用していいのかわからない。ただとりあえず仮説として検討に値する考えがあるのは確かだ。

 それは第一に、江戸時代の日本は、木材の過剰伐採による大規模な環境破壊の可能性にさらされていた、というものであり、第二に、そうした危機を回避できたのは、幕府によるトップダウン的なコントロールによる、というものである。***

 これは実際には回避されてしまった「危機」であるだけに、もし対策がまずかったらどうなっていたのか、ということを日本だけの資料から示していくことは難しい。そうした実証的な問題はあるにせよ、考えとしてはとても刺激的だった。

 まず、低価格な輸入木材の流入という状況に僕らはあまりに慣れきってしまい、日本中のそこらここらにある森の多くが、もともとは木材(薪や建材)として利用すべく植林され管理されていた、ということを忘れがちになっている。それらは本来高い経済的な価値を持っており、だからこそ、巨大な労働力が投下されてきたのだ。****

 さらに鎖国という半自給自足的な体制下においては、単なる交換価値という意味を越え、必要な物資は、その必要性に応じ、どれだけの手間隙がかかるかは別にしてとにかく自分で生産せねばならなかった、ということである。もちろん、地球全体という規模で考えれば、全体として自給自足体制であることは今も変わらない。鎖国状況の日本の歴史から学べることは他にもたくさんあるのだろう。人口のコントロールなどもその一つとして挙げられよう。生産力が増えなかったから、「自然と」人口増大が抑制されたのではなく、しかるべき社会システムがその背景にあったことはよく知られている。ただその「よく知られている」ことを、今と結びつけて考えることはなかなか難しい。

�C オーストラリアについて

 断片的な新しい知識のひとつひとつがNOと言っているのに、なかなか以前に作られたイメージが変えられない、その典型例はオーストラリアの第一次産業についてだろう。

 日本人から見て、オーストラリアというのは広い国土を背景にした豊かな農業と牧畜の国というイメージがある。こうしたイメージが過去において現実を正しく表していたのは間違いないし、パーセントは減り続けているとは言え、今でも農林水産業は輸出額の20%を占めている。例えば世界の農産物輸出量に占める割合を見ても、羊毛74%(第1位)、牛肉26%(第1位)、小麦13%(第3位)と圧倒的な物量を誇る。

http://www.maff.go.jp/kaigai/gaikyo/z_australia.htm

 にも関わらず、オーストラリアの農林水産業がGDPに占める比率というのは現在たかだか3%で、日本の1.5%の倍に過ぎない。国土の大きさ(日本の20倍)と人口(日本の7分の1)を考えても、意外に少ないように見えないだろうか。もっともこの数値はヨーロッパの農業国フランスとほぼ並ぶものであり、先進国の中ではかなり高い数字であるのも確かである。(例えばアメリカは日本と同程度)。

http://www.discover.australia.or.jp/chapter02/005.html

 ところでこれだけ輸出額に占める構成比が高いのにGDPに反映しないのは、農業の生産物に対する付加価値の割合が低いことがその一因と考えられる。たとえば農産物を100円で輸出するとき、それを生産するために人件費以外のコストが90円かかっているなら、100円に対する付加価値分は10円にすぎない。もし工業生産物の人件費以外のコストが20円なら、付加価値は80円にもなる。つまり表面上どれだけ多くの生産物があったとしても、その生産物を得るためのコストが膨大ならGDPを高める働きもしなければ、国民の収入源にもならないということだ。

http://www.interq.or.jp/tiger/abcabc/aust04.htm

 そして実際、この本を読むと、オーストラリアの農業は、表面的な豊かさとは別に、大きな経済的コストを払って生産されているということがわかる。この点に関する記述をこの本から探してみよう。

p.209 「オーストラリアの農地の99%はオーストラリア経済にほとんど、あるいはまったくプラスの貢献をしていない。国の農業収益の約80%は、農地の0.8%未満から得られたもので(ある)。

・・・残りの農業の大部分は、事実上、オーストラリアの富を増やすわけでもなく、ただ土壌と自生植物という環境資源を回復不能な方法で現金に換える採掘作業であり、それを政府の助成金が、原価割れの水や、税の軽減、無料の電話接続、その他のインフラという形で間接的に支援している」

p.209「農場の経費に、現金支出だけでなく、農場主の労働価値も入れて計算すると、オーストラリアの農地の三分の二は、農業経営者に純損失をもたらしているのだ」

 こうした補助金漬けの農業は日本でもお馴染みのものだから特に珍しいものでもない。採算の取れない経営をほとんど趣味に近いかたちで行いつつ、生活のためのの収入はよそから得る、という兼業体制も日本のことであれば小学生でも知っていることだ。

 しかしそれが、農場ひとつあたり日本の2000倍以上の広さの農地を持つオーストラリアの農業にもまたあてはまるということなのだ。驚きではないだろうか?

一方、日本との大きな違いは、著者が「採掘作業」という言葉を用いているとおり、森を開墾して行われる農業が土地を使い捨てにしながら不毛の大地を広げていっているということである。しかも、土地の生産力を見誤った政府の方針によって、そうした<荒地化>が法律や税控除などによって積極的に「支援」されてきた、というのである。

もちろん現在の日本でも過剰の農薬や肥料投下によって、一時的に収量を上げつつ、長期的には土壌を損なうような農業が問題になってはいる。しかしそれは日本の農業の長い歴史の中ではごく最近のことに過ぎず、これまでは水田による同じ土地の連続農耕がずっと続けられてきた。それはひとつには日本の自然環境の再生力の豊かさによるものだし、また持続可能性のある土地の利用法というこの風土に根付いてきた人の知恵の結果でもある。

オーストラリアの場合は、乾燥帯が国土の多くを占める気候帯の問題のみならず、降雨が不安定であり、しかももっとも古い大陸として、土壌の栄養分が流れきっていてしかも火山灰などによる新しい栄養分の補充がない。こうした元来の環境の脆弱性に加え、イギリスからの外来文化による、環境にまったく適さない土地利用法によって、オーストラリアの農地はすっかり消耗しきってしまっているというのだ。この本ではそのことを示す様々な数値が挙げられている。

 

 僕ら日本人のオーストラリアのイメージといえば、鬱蒼としたユーカリの森に住むコアラや、グレートバリアリーフの美しいサンゴ礁などといった、豊かな自然の大地であり、またたくさんの羊の飼われた農場といったものであったろう。そしてそうした国に住むのは、自然環境を第一に考えるような先進的な人々、という印象があったのではないか。しかし現実には、オーストラリアの政府はこれだけ環境破壊の現実が明らかになった今になっても、日本をはじめとする国際企業に原生林の伐採を許すような環境政策をとり、土地を酷使するような補助金漬けの農業のあり方を未だに変えられずにいるのである。

�D まとめ

 この本を読んで一番強く感じたのは、これまで「進んでいる」と考えていた文化は、持続可能性を無視した「その場しのぎの無節操で享楽的な」ものにすぎず、これまで「遅れている」と思っていたものこそ実は地に足のついた文化だったのではないか、という発想の転換である。高地ニューギニアの石器文明や江戸の中期の人口の停滞期を、僕らはそのまま<文明の停滞期>と見ていた。

しかしそうした見方を僕らは改めるべき時代にたどりついたのではないか、という思いを強く感じている。

* 参考文献として紹介されている、クライヴ・ポンティングの「緑の世界史」やチャールズ・レッドマンのHuman Impact on Ancient Environments という本を読めばよいようだ。

** 北アメリカのアジア系先住民族が白人によって壊滅的な打撃を受けた最大の理由は伝染病によるものであり、それ以前には相当の人口を誇っていたとも言われている。もしそれが正しいとするなら、土地の利用率はすでに十分高かったことになる。白人の侵入を防げなかったのは、上記の伝染病の問題のほかに、権力分散、文明の発達程度に比較して未発達だった軍事力といった問題によることになるだろう。『銃・鉄・病原菌』を参照。

*** 

この章のネタ本は主に

http://www.tsukiji-shokan.co.jp/mokuroku/ISBN4-8067-2240-5.html

からきているらしい。ぜひ読んでみたいと思っている。

 

****

このようなすぐれた森林管理のノウハウを持った国が、自国の森は荒れるに任せる一方で、海外の天然林を切り倒して環境破壊を加速させていることは実に皮肉なことだ。

 http://www.jca.apc.org/jatan/woodchip-j/trade.html も参照のこと。

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