« 2006年8月 | トップページ | 2006年10月 »

2006年9月28日 (木)

石垣・西表島旅行記

ホームページに旅行記を書きました。そちらをみてください!

http://ha2.seikyou.ne.jp/home/Kazuma.Kohara/ishigaki2006.htm

2006年9月11日 (月)

貧困地区の自己崩壊

 昨日、二ヶ月前に盗まれた僕のバイクが帰ってきた。死んだこどもが返ってくることを願った猿の手の話のように、次の願いはゾンビと化したそのバイクに去ってもらうことになるだろう。
川の中に落ちているところを見つかったそうだ。長い間水につかっていたのであちこちに藻が絡まり、鉄製の金具は錆びはじめていた。電気系統も当然いかれているだろう。エンジン始動キーの部分はもちろん壊されているし、キーで開ける方式のガソリンタンクはこじあけようとして失敗したらしく、鍵を差しても回らない。
 面白半分に盗んで、技術が足りないので給油もできず、すぐに使えなくなって川に投げ込まれたのだろう。盗まれて改造され、それなりに大事に使われていたのならまだ救われるが、この有様は純粋な悪意でしかない。自分の住む場所をスラムと呼びたくはないが、貧困が自らの地域を崩壊に導いていくはじめの一歩とも言えるだろう。低所得層向けの公営住宅が並ぶこの地区ではナンバープレートのはずされた車が放置され、収集日を無視したゴミがカラスに荒らされ散乱していることを見るのも稀でない。母子寮からは毎日すさまじい悪態が聞こえ、こどもの泣き声が響き渡っている。

2006年9月 7日 (木)

暦の歴史と社会学

月の名前について

January はヤヌス神から。
February は、贖罪の祭(Februltus)が行われる。
March は軍神マルスから (「コアラのマーチ」のmarchはフランス語のmarcher〔歩く〕からで別語源)。
April の語源は不明。ラテン語(aperire 開く)という語からという説と、ギリシャ神話のアフロディーテ(Aphrodite)にちなんだAphrilisという名前が変化したという説が有力。
May はマイア(Maia)から。プレアデスの七人姉妹の長女。豊穣の神。
June はユノー(Juno)から。ギリシャ神話のヘラ。
Julyはユリウス・カエサル(英名:ジュリアス・シーザー)から。
Augustはアウグストゥス(オクタヴィアヌス)から。
9月以降は数字の7、8、9、10から来ている。シーザーとアウグストゥスが自分の名前を月の名前にする以前には、JulyとAugustも5の月、6の月と呼ばれていた。

 つまりもともとはMarchから暦ははじまっていたのだ。そのNuma暦では10の月で名前のある月は終わり、冬の間は月の名前がなかったが後からJanuraryとFebruaryが冬の月の名前として加えられた。贖罪の祭が行われるのも、閏年の日数調整が行われるのもそれが年末だったからだ。しかし後から加えられたJanuaryに名前を取られたヤヌス神が時の最初と終わりを司るという意味を持ったため、紀元前153年以降公式に、Januaryが新年の月とされるようになった。その政治的な事情として、Wiki(英語版)は、選挙期間中に執政官直属の軍が動かせるようにするため、時の二人の執政官が暦の順番を変えたのではないかとしている。もっともそれ以前からヤヌスの月を新年と結びつける習俗はあったらしい。

なぜJanuary1が、現在のあの日になったのか
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0310.htm
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_1700.htm
を読んでもらうとここによくまとまっているのだが、ポイントは4つ。

1 BC47年に、シーザーが3月25日を春分の日になるようにした。そこから1月1日が逆算で決まった(ちなみにシーザーとその次のアウグウトゥスが月の日数を決めた際、慣習上年末であったFebruaryの日数を短くして調整した)。

2 シーザーが制定した4年に一度閏年をおくユリウス暦では1年は365.25日となり、地球の公転周期365.2421987日よりも長くなってしまうため、128年に1日の誤差ができる。

3 AD325年にニケア公会議で、イースターを決めるために用いる「春分の日」を暦上の3月21日に固定した。(ユリウス暦のはじまった400年後だったので、春分の日が4日ずれていた)。

4 それからさらに暦はずれ続け、イースターを決めるための「春分の日 3月21日」は、本当の春分の日から大きく遅れていった。そこで1582年にグレゴリオ13世が改暦をし、10日間ずらして、3月21日が本当の春分の日になるようにした。また今後もずれていかないように閏年の決まりを調整をした。

 ちなみに3月25日を春分の日になるようにしたのは、当時二つの暦があり、公式の暦の3月25日が、春分の日からはじまる農業用の暦の新年にあたることになっていたからだ、という説がある。(http://www.faeriefaith.net/Calendar.html より。このHP自体の情報は、Irwin, Keith G. The 365 Days - The Story of Our Calendar. 1964. Thomas Y. Crowell Co., New York から)。
 なお3月25日が春分の日になったので、12月25日が冬至となった。これがクリスマスが12月25日になった直接の理由と考えられる。当時ローマで信仰を集めたミトラ教の冬至の祭から引用されたという説がある(Wikipediaより)。
 さらに、この12月25日から逆算して9ヶ月前の3月25日が受胎告知の日とされ、この日を新年とする暦が中世ヨーロッパの多くの国で用いられていた。イングランドでは1752年までその暦が使われており、現在でも税制年度が切り替わる4月6日はユリウス暦とのずれを反映したそのままである。

教訓
1 僕らの世界は、恣意的な歴史的決定の積み重ねの上にできあがっている。

1月1日があの日であることには、合理的な理由などない。また月の名前など暦にまつわる様々な要素はそのときどきに少しずつ変わっていったため、全体的な理論の統一がはかられているわけでもない。

2 ただし決定の過程自体は歴史的かつ恣意的であっても、その運用は同時代的な論理に従って、合理的に行われる。
恣意的に決まった1月1日だが、どこの地域でもカレンダーを一つに統一する必要がある、という点は合理的な理由だった。そもそもの恣意性はその合理性には影響を及ぼさない。月の名前、週の名前の決め方も歴史的な恣意性によるが、そうした恣意的なシンボリックな意味は、そのときどきの現実との関係によって意味が置き換わっていく。現在水曜日に「水」なり商業の神マーキュリーなりを連想するような人はほとんどいず、それは週休二日制というリズムでかたちづくられるウィークデイの真ん中で、いろいろなお店が定休日にしていたりする、というような意味合いのほうが決定的である。

3 もっともそうした歴史的に沈殿していくシンボリックなイメージは、合理的な活動の外で人々の行動に影響を与えている。その典型例が占星術である。
人々がシンボリックな意味に影響を受けて行動しているのなら、それを予測する論理もシンボリックなものでなければならない。その意味で占星術には、株価を予想する社会心理学的な理論と似たプラクティカルな合理性があるとも言える。ただしそれが当たるか当たらないかには、人がそうしたイメージでそもそも生きているかに束縛を受ける。

2006年9月 6日 (水)

曜日の名前について

 昨晩、妻が小学校で使っている英単語のワークシートを見せてくれた。
 その中に曜日の欄があったのだが、それを見ていて語源が気になった。

 日本語の曜日同様、英語の曜日もローマ暦からきており、惑星の名前とその天体を司る神の名前がセットになっている。Sunday, Mondayはそれぞれ太陽と月であり、Saturdayが土星のSaturn(農耕の神、ギリシャ神話のクロノスKronos/ Cronus にあたる)から来ていることは一目で分かる。(ちなみにクロノスとほとんど同じ発音をする別綴りのChronosは時間の神)。
 なお、日本の曜日は天体の名前経由で、ローマ暦と接続しているが、その天体の名前は五行説(木火土金水)からとられている。

 残りのTuesday, Wednesday, Thursdayだがこれはそれぞれ北欧神話のTyr(Tiw)、Oden(Woden)、Thorからとられている。ローマ神話のマルス、マーキュリー、ジュピターにどこか共通するものを北欧神話から探したようだ。

 Wikipediaによれば、テュールはゼウスやジュピターなどと同語源の印欧祖語における「神」を本来意味し、最高神だったのが、戦いの神Odenへの信仰が高まったため、彼の息子ということにされたようだ。イギリスで、ローマの曜日概念が受け入れられる頃には、テュールは軍神マルスにあたるということになっていたため、火曜日の名前となった。 

 ここからわかるのは、まず言葉と神話がもともとセットであったこと。だから同系の言葉を話す印欧語族は、神話においてもある程度対応する部分があること。しかし民族の歴史とともに神話は書き換えられていくこと、この三点である。

 最高神のオーディンが、マーキュリーと結び付けられた理由だが、Wikipediaによれば「英雄を死なせること、魔術の達人であること」かららしい。オーディーン同様、戦いの神でもあるトールがジュピターとつながったのは雷との関係からだそうだ。

参考文献
Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
曜日について
http://www.kurata-wataru.com/youbi.html
惑星の名前について
http://www5.cds.ne.jp/~ant/labo/solarSys/name.html
http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/vm/resource/tenmon/space/solsys/solsys03.html

北欧神話
http://homepage3.nifty.com/banmaden/scand.htm
http://rospear.info/myth/norse_mythology/gods.html

2006年9月 5日 (火)

トッド 『帝国以後』

 アメリカが、世界帝国の位置から滑り落ちた後、ひとつの国民国家に戻るのではなく、擬似帝国として振舞うその戦略は、早晩崩壊に至るだろう、というのがこの本の基本的な趣旨である。
 いかにもフランス人が喜びそうなその基本的なストーリーはともかく、歴史的なアナロジーの使い方については、大変興味深かった。

1 トッドはマルクス的な経済決定論に対し、その他の基本的な人口指標の重要性を訴える。
 この本でトッドが特に重視するのは、識字率と合計特殊出生率である。
 彼はこの20年で発展途上国の識字率が大幅に上昇し、それに合わせて出生率が下がっていることを指摘する(pp.50-58)。この識字率の変化には、無論経済も影響を与えているがそれ以外の要因(政治・文化など)も大きい。
 この識字率と出生率の変化は、経済を活性化しグローバリゼーションを進め、民主化を推し進める力となるが、それは必ずしも政治的な安定を意味しない。
 
 トッドは、イランのホメイニ氏による原理主義政治革命を、クロムウェルによる清教徒革命と同様の現象であると考える。この清教徒革命が、後の名誉革命、産業革命の先駆となるわけだが、それを引き起こしたのは経済的な生産手段の発達ではなく、識字率の上昇であるとする。そしてイランの原理主義政治革命もまた同じような人口学的背景においておこり、ゆえに同じような帰結を生むだろうとトッドは予測する。
 現在イスラム圏において起こっている政治的不安定化は、識字率上昇の余波であって、余計な介入がなく自律的に発展が進めば自然に民主主義の発達と政治的穏健化への道を進むだろうと彼は考える。
 もっともヨーロッパではその後産業化された諸国による帝国主義・ブロック経済が発達し、後発先進国のドイツ・日本との全面対立から世界戦争へと向かっていくわけである。トッドのように「歴史は繰り返す」という発想をここに当てはめれば、現在の先進国が世界における既存権益を守ろうとして、後発諸国と対立を深めるのであれば同じような結果となることも当然考えられるわけだ。トッドはこうした可能性については特に触れないが、何らかの対処に迫られることは間違いない。ただしその対処において、アメリカ的な方法が間違っていることについては、トッドに共感する。

2 トッドは、「アメリカはわれわれのピラミッド、全世界の労働によって維持されるピラミッドに他ならない」とする(p.108)。生産力の増大に対し、追いつかない需要の伸びを補う、ケインズ的な公共事業の役割を、アメリカという国家全体がその膨大な貿易赤字を通じて担っているからだ。アメリカで進行しているのは投資が投資を呼ぶような明らかなバブルの図式であり、それが実体経済の支えからかけ離れたものである以上、何らかの下支えがない限り、いつかそれは崩壊するであろう、そうトッドは考えている。
 トッドがその下支えとして考えるのは、「絶対的な軍事的・国家的強制力」によるドルの信用である(p.132)。
 アメリカにおける貿易赤字の拡大は今にはじまったことではないのだから、このような論調は今さら特に珍しいものではない。しかしローマ帝国の平民状態と化したアメリカ国民の消費を守るために行われる、「絶対的な軍事的・国家的強制力」の表示の必要性が、イラク・アフガンといった中小国に対する軍事介入を推し進め、それがヨーロッパ、ロシア、日本の結束を導くだろう、というような分析には、現代的意義が見られる。もっともそれはフランス的な立場からの希望的観測にすぎず、ドイツなどはともかく、日本のアメリカ追随の終わる日が近いとは、様々な世論調査結果などを見ても到底思えない。

3 文化的にも、アメリカが普遍主義のモデル的な位置にはありえない、ということをトッドはアメリカ国内の白人=黒人間、白人=ヒスパニック間の混交婚姻率の低さに見てとる。白人=アジア系の婚姻率は高まっているものの、上記の組み合わせの婚姻率は低いレベルにとどまっている。
 たとえば2000年における、黒人男性の混交婚率は55歳以上で2.3%、15から24歳でも11%に過ぎない。黒人女性の混交婚率はさらに低く、全体で2.3%である。黒人女性ではもともとシングルマザーが半数を占めるので、全体で見れば黒人の母を持つ者のうち、わずか1%だけが法律上の黒人以外の父を持つのである。
 このような差異主義的な文化を背景に持つアメリカ人には、帝国を支える普遍主義的な思考ができないだろう、というのがトッドの見方である。
 トッドの代表作『新ヨーロッパ大全』もそうだが、こうした身近な人間関係が文化の基礎となる、という考え方には説得力があるように思う。

2006年9月 4日 (月)

「オズの魔法使い」

 現代日本の大人が何も考えずに楽しめる、というお話ではないように思う。はじめから最後まで違和感があり、それがある意味興味深い。
 この映画は本国アメリカでははっきり「古典」として位置づけられている。たとえばIMDbの人気投票では全体で88位、1930年代の作品で100位以内に入っている作品は他に四つだけ(チャップリンの「モダンタイムズ」と「街の灯」、ラングの「M」とキャプラの「スミス氏、ワシントンへ行く」)だ。単に平均得点が高いだけでなく、投票総数も4万以上で、1万程度のほかの四つを圧倒している。IMDbの感想を読んでも、アメリカ人の多くが子供の頃にこの作品を普通に見て育っていることが推測される(例えばBothanの発言)。想像するに、それは僕らが「日本むかしばなし」などを見て育ったのと同じような感覚なのかもしれない。
 カラーで撮られていることも大きいだろう。それは日本における白黒中心の時代にあえてカラーで撮られた「ウルトラマン」が、今でも古びていないのと同じだ。カラフルでキッチュな色使いや、書割的背景も、色とりどりに装飾された幼稚園のようなもので、意図的な演出としても十分現代の子供向けの映画においてありうるものだ。
 つまり、アメリカ人にとっては、この作品は「大人がその感性を試されるような」古典的な作品ではなく、何の違和感もなく普通に自然に楽しめるそういう作品であると言って良い。

 そのように考えると、僕らにとっての違和感はアメリカ人が当然のものとしているような、その文化への違和感とも言える。
 その違和感は物語のスタートからはじまる。ドロシーは大人に囲まれていて、誰も彼女の話をきちんと聞いてくれない。日本において、こんなにも大人の世界は子供にとって圧倒的な壁ではないはずだ。単にまわりに子供がいないという不自然さだけではない。こどもらしい可愛らしいものがそこには一切ない。
 物語の構造上、そうした「かわいらしい」こどもの夢の世界はみなマンチキンやらオズらの別世界に移されているというのはわかるが、そのこどもの世界においても僕らの目が出会うものもお世辞にも「かわいらしい」とは言えない奇妙な人々と奇妙な情景に過ぎない。しかもそこは悪い魔女が殺されたことを祝う祭が行われる単純な善悪の二元論の世界である。でも、アメリカ人にはあれは十分「かわいらしい」のだろう。
ジュディ・ガーランドが歌うあの「虹の彼方に」も、映像なしに見れば誰もが大人の女性の歌だと感じる、完成された美を表現している。それは、自分の子犬を守ろうと一大決心して家出した女の子が歌う歌としてはあまりに不自然だ、と僕らには感じられる。
この違和感は、社会における大人的な価値観の位置づけの違いから来ているのだ、と説明できそうに思う。単にアメリカと日本の文化の違いではなく、あの時代との時間的な距離も関係しているかもしれない。アリエスの描いたような大人中心の世界の余韻がまだあの映画には残存しているのだと。
 とはいえ、オズの魔法使いはアメリカにおいて、現代まで生き延びているが、戦前の日本のこども向け映画や漫画などで戦後にも生き延びているものは全くないだろう。

 戦後のこども文化がそれ以前の文化と切り離されて再出発したそのことも、日本における世代関係や成人観を形成するひとつのきっかけになっているのかもしれない、と感じさせられた。

本田由紀『多元化する「能力」と日本社会』

 本田はこの本で、現代日本がハイパーメリトクラシー、すなわち人々のどんな種類の能力も何でもかんでも測定して評価する、そういう社会に変貌しつつあると主張している。興味深い部分もあるが、理論とデータの扱いにおいて少々問題を感じるところも多い。

 本田は、ハイパーメリトクラシー社会への変化を、「近代型能力」と「ポスト近代型能力」という二分法で描き出そうとする。前者はこれまでのメリトクラシー社会で主に評価されたいわゆる「学力」であり、後者は文科省が「生きる力」と呼んだような種類の能力である。

 本田が述べるように、日本において、企業と文科省が1980年代後半から2000年頃まで、「ポスト近代型能力」を重視する方向できたことは疑う余地もない。しかしそれが先進国に共通する変化か、と言うと大きな疑問である。
 本田は、ベックやギデンズを引用し、見田の「情報化/消費化社会」の議論を引用しながら、どうして日本がハイパーメリトクラシー社会になったかということを主張している。ベックやギデンズ、見田の理論は無論日本だけではなく、欧米など先進国全般にあてはまる理論として立てられているはずだから、その理論からハイパーメリトクラシー社会になることを言うなら、すなわち日本だけでなく先進国に共通した変化だと彼女は暗に主張していることになる。しかしそれは、理論がどうあろうと現実から否定されそうだ。
 というのも、たとえば英米は伝統的に自由主義的で標準化されない多様な能力を評価してきた。評価方法においても手続きの公正さよりも、個性を重視するやり方をとっている。これは、英米が日本よりも100年ほど進んでハイパーメリトクラシー社会になっていることを意味することになるが、他の様々な指標を見るにそうした解釈は矛盾につきあたる。
 しかもその英米は、教育改革を通じて、この時期の日本とは逆に、基礎学力の重視を打ち出してきている。さらに、日本においても、つい最近はゆとり教育に対する批判の大合唱となり、もう一度基礎学力重視に戻りつつあるようにも見える。
 もし英米と日本で教育改革の方向が逆転していたのだとすれば、それは先進国全般に共通する変化に対応して、というよりはもっと別の要因が働いていたと考えるべきではないだろうか。

2 さらに、「近代型能力」と「ポスト近代型能力」の違いは、日本と英米という違い以外にも
A 「工場労働者と 管理職、それぞれに求められる能力」、B 「中等教育と 高等・企業教育、それぞれで重視される能力」、C 「正規教育と課外活動、それぞれで育成される能力」という対にもある程度対応している。
 この全ての対において、社会的に後者が重視されるようになった、ということができるのだろうか。 それとも、例えば今でも工場労働者では近代型能力が必要とされるのに、産業における需給関係とは無関係に、別の理由で高学歴化が進み、そちらの論理だけで「ポスト近代型能力」が重視されるようになったとは言えないだろうか。
 あるいは例えば、これも様々な要因によって、課外活動が低調になったり、子どもが遊ばなく(遊べなく)なったことで、本田のいう「ポスト近代型能力」の育成が疎外され、仕方なく正規教育の中でその育成を行わざるを得なくなった、という仮説は成り立たないか。

3 苅谷らにおける「努力=勉強」とする狭い見方を批判し、勉強時間が減ったからと言って、彼らが努力しなくなったわけではないのではないか、というような疑問は正当なものだろう。そして、ハイパーメリトクラシー化に対応して、こどもたちが、学力以外の分野において、その努力を傾けるようになった、すなわち「閉じた努力から開かれた努力へ」と変化した(p.77)とする仮説も十分検討に値する。
 しかし、努力に関するこどもたちの主観的な評価のデータをもって、努力の量が減っていない(増えている)とするのは大いに問題があるのではないか。こどもたちによる「努力」という言葉の定義自体が変化している、というのならその量を比較すること自体に意味があるとは思えない。
 また、彼女自身が示したように「相対的に希少化した諸要因――親からの期待や生活習慣、勉強時間、テスト得点などーーが、『努力する』子どもの用件としてかつてよりも重要になっている」というデータから読み取れるのは、たとえば以前の基準からすれば相当少ない勉強時間でも相対的に多いと感じられるようになった、ということである。親からの期待などについても同様で、かつてだったらとても「厳しい」とはいえないような親の態度も、今では全体がこどもに対して甘くなっていることから、相対的に「厳しい」と感じられるようになった、それだけのことであるように見える。
 にも関わらず、本田はこのデータを逆に、「努力していると感じる基準が甘くなった」とは言えないことを示すものとして扱う。このような箇所を見ると、彼女の全体的な分析も相当いい加減なのではないか疑いたくなる。
 

 そのように疑い出すと、彼女がこの本における分析の主要な技法として採用した重回帰分析についてもどこまできちんと行われているか、危ぶまれる。そこで設定されている説明変数の組み合わせにはどれだけの根拠があるのか、それが十分に示されていないからだ。重回帰は、説明変数の選び方で結果が大きく変わってくることが知られている。

4 三章、四章では、「対人能力」や「生きるためのスキル」が重視されるようになった、ということを通して、ハイパーメリトクラシー社会を実証しようとしているが、彼女が用いているような質問から、ある人がそれらの能力を持っているかどうかなど知ることができるとはとても考えられない。
 こういった能力を、本人に対する質問紙だけで測れるという考え方自体、問題がある。対人能力、コミュニケーション能力といったものは、本人が「自分の考えを伝えられる」と思っているかどうか、などでわかるわけもない。多くの人が「コミュニケーション能力が欠如している」と考えるような人は、まさにそのような自己評価ができないところに問題があるのだ。本田はまた、「友達の間違いを指摘すべき」と考えることも、対人能力の高さとしているが、「友達が間違っている」と決めつける前に、「自分自身が間違っているかもしれない」、と反省することもコミュニケーションにおいて必須の能力だろう。対人能力というのはそうした多くの個別の性格のバランスの上に成り立っているはずなのだ。
 そもそも「ポスト近代型能力」の「ポスト近代能力」であるところの所以は、そうした能力を測る技術が「ポスト近代」になってようやく十分に開発されたことにあるのではないだろうか。それをこんな乱暴な質問票で測れると思う方がどうかしている。
 もしそれをどうしても測りたいのであれば、たとえば参与観察という手法をとるか、あるいは少なくとも他のクラスメイトや教師からの評価を総合していく、といった方法をとるべきだろう。「生きるためのスキル」は、実際に様々なことをやってもらい、それを評価するしかない。
 こういういい加減な調査の結果が今後一人歩きするようであれば(そしてその危険性は大いにあるが)、こうした調査の価値はゼロどころかむしろマイナスである、とさえ思われる。

 予算がないことを言い訳に、いい加減な調査をいくつもやってきた自分自身への反省もこめて、他山の石としたい。

Eトッド 『世界像革命』

  後半に収められた歴史人口学者、速水融との対談(「家族構造から見る新しい『日本』像」 三浦信孝訳 pp.145-176)、言語学者サガールとの共著論文は知的な興奮を誘う。
速水融がここに提示している明治期日本における、地域別の平均世帯人員数、世帯内平均夫婦組数、平均初婚年齢の地図は大変興味深い。これらを作成したデータをもとに速水氏は、日本を形成した三つの文化圏という仮説を立てている。
一つは関東以北。ここは早婚でかつ子供の数が少ない。速水氏はこれが縄文文化からの先住民だと考えている。次にフォッサマグナから以西の中央日本。ここは晩婚でかつ子供の数が多い。速水氏は彼らが朝鮮半島や中国からやってきた渡来人の文化を引いていると考える。最後に南西海岸部。ここは結婚は遅いが、婚外子が多いという文化の海洋民族の文化が定着した、と考えている(pp. 164-165)。
ローラン・サガールとの共著論文(「新人類学序説−共同体家族システムの起源」pp. 177-209 石崎晴己、東松秀雄訳)では、ロシア、東ヨーロッパ、中央アジア、北インド、中国というように、アジア中心部に広大に拡がる父系共同体家族の文化と、その周辺部に位置し様々な家族形態を持つ諸文化の分布から、多様な家族形態のうち、父系共同体家族がアジアの中心部で勃興しそれが周縁に広がっていった、という壮大な仮説を立てている。トッドはこの父系共同体家族における権威主義と平等主義の混交から、共産主義思想との親近性をもともと論じていたわけだが、そのような家族形態と文化との関係性を考えれば、こうした家族形態の世界的な配置は重要な問題になってくる。

 もっとも中国やロシアなどはそれぞれ広大な地域を占める民族であり、それが持っている家族形態がどの程度一貫しているのかは、どのような調査により結論が下されたのか詳しく知らないと、俄かには信じがたい。トッドが、それを共産主義分布と結び付けようとしたという研究動機からしても、批判的な調査が必要だろう。

小熊英二 『単一民族の起源』

  僕が知る中で、知識社会学の最高の研究事例の一つだと思う。
これだけたくさんの情報を「日本人単一民族説<>混合民族説」という枠でまとめ、それが明治以降どのように変転していったかを、日本の社会情勢と人類学それ自身の方法論の進展といった二つの視角から語りきった手腕は実に見事。
 本の前半は、戦前の大日本帝国が日清・日露戦争以降拡張を続けるに合わせて、単一民族論が下火になり、複合民族論へと主流が移っていく様を描いている。後半はそうした拡大路線において、帝国に吸収された民族間の現実的な葛藤とナチスの影響などから単一民族主義が傍流として息を吹き返し、戦後に続いていく姿を描いている。植民地を失い、複合民族説を主張すべきイデオロギー的基盤を失って、戦後は、それまでの複合民族論などなかったかのように単一民族論が幅をきかすようになっていく。それも戦争中における単一民族論の優生学=ナチス的な「科学的証明」はすっかり忘れ去られて。

秋の気配

 朝・夕がとても涼しくなり、秋が来たことを実感する。なんだかそれだけで気分はとてもメランコリックだ。とはいえ朝起きてきたら、強い日差しのなかで朝顔はくったりしているし(うちのベランダは南東向きなので朝日をたっぷりあびるのだ)、日中の気温はかなりあがるだろう。まだまだ残暑は厳しい。

 昨日は社会人の学生さんをうちに招き自宅で授業をしたのだが、人の家だと緊張するタイプだったのか、授業はどうも低調で今ひとつだった。こういうのは結構消耗する。
 午後はなんだかぐったりして頭痛もはじまり、二時間ほど昼寝をしてから近所の温泉に。それで何とか取り戻し夜はお好み焼きを作って、つまらない映画を途中まで見た(仲間由紀江の『ゲーム』)。仲間さんはお金持ちのうちのお嬢さんの役なんだが、いつもの仲間さんにしか見えず、全くのミスキャスト。高校生くらいの女の子でないと、あの役柄は難しいのだろう。もちろん実年齢よりずっと年下を演じることができる女優さんもいるのだろうが、仲間さんはそうではないらしい。やる気もなさそうに見えた。
 それがあまりにひどかったので口直しに、録画してあった「恋の空騒ぎ」というバラエティー番組を見る。こちらはいつもどおり楽しく、ひとりひとりの素敵な個性を感じさせてもらった。それとアクターズ・スタジオによるキャメロン・ディアスのインタビューも。キャメロンは映画から予想されるそのままの性格(に見えた)。ああいう人たちの自己概念というのはどういうものなんだろう。もっとも僕らが「何にでもなれる」と想像するほど、彼女達はすんなり役になり切れるわけでもないのだろう。

« 2006年8月 | トップページ | 2006年10月 »

2015年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ