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2006年9月 5日 (火)

トッド 『帝国以後』

 アメリカが、世界帝国の位置から滑り落ちた後、ひとつの国民国家に戻るのではなく、擬似帝国として振舞うその戦略は、早晩崩壊に至るだろう、というのがこの本の基本的な趣旨である。
 いかにもフランス人が喜びそうなその基本的なストーリーはともかく、歴史的なアナロジーの使い方については、大変興味深かった。

1 トッドはマルクス的な経済決定論に対し、その他の基本的な人口指標の重要性を訴える。
 この本でトッドが特に重視するのは、識字率と合計特殊出生率である。
 彼はこの20年で発展途上国の識字率が大幅に上昇し、それに合わせて出生率が下がっていることを指摘する(pp.50-58)。この識字率の変化には、無論経済も影響を与えているがそれ以外の要因(政治・文化など)も大きい。
 この識字率と出生率の変化は、経済を活性化しグローバリゼーションを進め、民主化を推し進める力となるが、それは必ずしも政治的な安定を意味しない。
 
 トッドは、イランのホメイニ氏による原理主義政治革命を、クロムウェルによる清教徒革命と同様の現象であると考える。この清教徒革命が、後の名誉革命、産業革命の先駆となるわけだが、それを引き起こしたのは経済的な生産手段の発達ではなく、識字率の上昇であるとする。そしてイランの原理主義政治革命もまた同じような人口学的背景においておこり、ゆえに同じような帰結を生むだろうとトッドは予測する。
 現在イスラム圏において起こっている政治的不安定化は、識字率上昇の余波であって、余計な介入がなく自律的に発展が進めば自然に民主主義の発達と政治的穏健化への道を進むだろうと彼は考える。
 もっともヨーロッパではその後産業化された諸国による帝国主義・ブロック経済が発達し、後発先進国のドイツ・日本との全面対立から世界戦争へと向かっていくわけである。トッドのように「歴史は繰り返す」という発想をここに当てはめれば、現在の先進国が世界における既存権益を守ろうとして、後発諸国と対立を深めるのであれば同じような結果となることも当然考えられるわけだ。トッドはこうした可能性については特に触れないが、何らかの対処に迫られることは間違いない。ただしその対処において、アメリカ的な方法が間違っていることについては、トッドに共感する。

2 トッドは、「アメリカはわれわれのピラミッド、全世界の労働によって維持されるピラミッドに他ならない」とする(p.108)。生産力の増大に対し、追いつかない需要の伸びを補う、ケインズ的な公共事業の役割を、アメリカという国家全体がその膨大な貿易赤字を通じて担っているからだ。アメリカで進行しているのは投資が投資を呼ぶような明らかなバブルの図式であり、それが実体経済の支えからかけ離れたものである以上、何らかの下支えがない限り、いつかそれは崩壊するであろう、そうトッドは考えている。
 トッドがその下支えとして考えるのは、「絶対的な軍事的・国家的強制力」によるドルの信用である(p.132)。
 アメリカにおける貿易赤字の拡大は今にはじまったことではないのだから、このような論調は今さら特に珍しいものではない。しかしローマ帝国の平民状態と化したアメリカ国民の消費を守るために行われる、「絶対的な軍事的・国家的強制力」の表示の必要性が、イラク・アフガンといった中小国に対する軍事介入を推し進め、それがヨーロッパ、ロシア、日本の結束を導くだろう、というような分析には、現代的意義が見られる。もっともそれはフランス的な立場からの希望的観測にすぎず、ドイツなどはともかく、日本のアメリカ追随の終わる日が近いとは、様々な世論調査結果などを見ても到底思えない。

3 文化的にも、アメリカが普遍主義のモデル的な位置にはありえない、ということをトッドはアメリカ国内の白人=黒人間、白人=ヒスパニック間の混交婚姻率の低さに見てとる。白人=アジア系の婚姻率は高まっているものの、上記の組み合わせの婚姻率は低いレベルにとどまっている。
 たとえば2000年における、黒人男性の混交婚率は55歳以上で2.3%、15から24歳でも11%に過ぎない。黒人女性の混交婚率はさらに低く、全体で2.3%である。黒人女性ではもともとシングルマザーが半数を占めるので、全体で見れば黒人の母を持つ者のうち、わずか1%だけが法律上の黒人以外の父を持つのである。
 このような差異主義的な文化を背景に持つアメリカ人には、帝国を支える普遍主義的な思考ができないだろう、というのがトッドの見方である。
 トッドの代表作『新ヨーロッパ大全』もそうだが、こうした身近な人間関係が文化の基礎となる、という考え方には説得力があるように思う。

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