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2007年6月 3日 (日)

テレプシコーラ 第一部 (山岸涼子) ネタバレ

 姉妹のやりとりがものすごくリアルに描かれた作品だった。積極的で何でも一番の姉と、おっとりした性格で甘えん坊の妹、というような組み合わせはこれまでにも何度でも描かれてきただろうが、妹の視点から、姉を過度に理想化せず、かといって過度に敵視もせず、普通に親切で普通に意地悪でというバランスをここまで表現しきった作品も珍しいのではないだろうか。

 しかしそのように、妹の視点からリアルに造形されたキャラクターであるからこそ、この結末は痛かった。取り乱して号泣し、そのあと一日中気持ちを暗くさせ、このような結末を準備した作者に怒りさえ覚えるほど、この結末は痛かった。しかもその結末へは、<今>の連続する現実世界とは違い、物語のスタート時点から点々と伏線が引いてあり、語り手はこのエンディングをはじめから意識しつつこの物語が語られていたことに、後から気づくのだ。

 この作品は僕らに一つの真実をはっきりと伝えてくれる。「自分」という特定の人物の運命に、生きることの意味のすべてを賭けると、そのすべてを失う可能性があるということである。

 個人化の進むこの現代は、そのような生き方こそが我々に許された唯一の選択肢であるかのような幻想をふりまいているが、過去に目をやれば他にも様々な生き方がありえることを知るだろう。

 僕の研究の進展は、そのような人生観からの解放をきっともたらすことができると信じている。

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