2006年9月11日 (月)

貧困地区の自己崩壊

 昨日、二ヶ月前に盗まれた僕のバイクが帰ってきた。死んだこどもが返ってくることを願った猿の手の話のように、次の願いはゾンビと化したそのバイクに去ってもらうことになるだろう。
川の中に落ちているところを見つかったそうだ。長い間水につかっていたのであちこちに藻が絡まり、鉄製の金具は錆びはじめていた。電気系統も当然いかれているだろう。エンジン始動キーの部分はもちろん壊されているし、キーで開ける方式のガソリンタンクはこじあけようとして失敗したらしく、鍵を差しても回らない。
 面白半分に盗んで、技術が足りないので給油もできず、すぐに使えなくなって川に投げ込まれたのだろう。盗まれて改造され、それなりに大事に使われていたのならまだ救われるが、この有様は純粋な悪意でしかない。自分の住む場所をスラムと呼びたくはないが、貧困が自らの地域を崩壊に導いていくはじめの一歩とも言えるだろう。低所得層向けの公営住宅が並ぶこの地区ではナンバープレートのはずされた車が放置され、収集日を無視したゴミがカラスに荒らされ散乱していることを見るのも稀でない。母子寮からは毎日すさまじい悪態が聞こえ、こどもの泣き声が響き渡っている。

2006年9月 6日 (水)

曜日の名前について

 昨晩、妻が小学校で使っている英単語のワークシートを見せてくれた。
 その中に曜日の欄があったのだが、それを見ていて語源が気になった。

 日本語の曜日同様、英語の曜日もローマ暦からきており、惑星の名前とその天体を司る神の名前がセットになっている。Sunday, Mondayはそれぞれ太陽と月であり、Saturdayが土星のSaturn(農耕の神、ギリシャ神話のクロノスKronos/ Cronus にあたる)から来ていることは一目で分かる。(ちなみにクロノスとほとんど同じ発音をする別綴りのChronosは時間の神)。
 なお、日本の曜日は天体の名前経由で、ローマ暦と接続しているが、その天体の名前は五行説(木火土金水)からとられている。

 残りのTuesday, Wednesday, Thursdayだがこれはそれぞれ北欧神話のTyr(Tiw)、Oden(Woden)、Thorからとられている。ローマ神話のマルス、マーキュリー、ジュピターにどこか共通するものを北欧神話から探したようだ。

 Wikipediaによれば、テュールはゼウスやジュピターなどと同語源の印欧祖語における「神」を本来意味し、最高神だったのが、戦いの神Odenへの信仰が高まったため、彼の息子ということにされたようだ。イギリスで、ローマの曜日概念が受け入れられる頃には、テュールは軍神マルスにあたるということになっていたため、火曜日の名前となった。 

 ここからわかるのは、まず言葉と神話がもともとセットであったこと。だから同系の言葉を話す印欧語族は、神話においてもある程度対応する部分があること。しかし民族の歴史とともに神話は書き換えられていくこと、この三点である。

 最高神のオーディンが、マーキュリーと結び付けられた理由だが、Wikipediaによれば「英雄を死なせること、魔術の達人であること」かららしい。オーディーン同様、戦いの神でもあるトールがジュピターとつながったのは雷との関係からだそうだ。

参考文献
Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
曜日について
http://www.kurata-wataru.com/youbi.html
惑星の名前について
http://www5.cds.ne.jp/~ant/labo/solarSys/name.html
http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/vm/resource/tenmon/space/solsys/solsys03.html

北欧神話
http://homepage3.nifty.com/banmaden/scand.htm
http://rospear.info/myth/norse_mythology/gods.html

2006年9月 4日 (月)

秋の気配

 朝・夕がとても涼しくなり、秋が来たことを実感する。なんだかそれだけで気分はとてもメランコリックだ。とはいえ朝起きてきたら、強い日差しのなかで朝顔はくったりしているし(うちのベランダは南東向きなので朝日をたっぷりあびるのだ)、日中の気温はかなりあがるだろう。まだまだ残暑は厳しい。

 昨日は社会人の学生さんをうちに招き自宅で授業をしたのだが、人の家だと緊張するタイプだったのか、授業はどうも低調で今ひとつだった。こういうのは結構消耗する。
 午後はなんだかぐったりして頭痛もはじまり、二時間ほど昼寝をしてから近所の温泉に。それで何とか取り戻し夜はお好み焼きを作って、つまらない映画を途中まで見た(仲間由紀江の『ゲーム』)。仲間さんはお金持ちのうちのお嬢さんの役なんだが、いつもの仲間さんにしか見えず、全くのミスキャスト。高校生くらいの女の子でないと、あの役柄は難しいのだろう。もちろん実年齢よりずっと年下を演じることができる女優さんもいるのだろうが、仲間さんはそうではないらしい。やる気もなさそうに見えた。
 それがあまりにひどかったので口直しに、録画してあった「恋の空騒ぎ」というバラエティー番組を見る。こちらはいつもどおり楽しく、ひとりひとりの素敵な個性を感じさせてもらった。それとアクターズ・スタジオによるキャメロン・ディアスのインタビューも。キャメロンは映画から予想されるそのままの性格(に見えた)。ああいう人たちの自己概念というのはどういうものなんだろう。もっとも僕らが「何にでもなれる」と想像するほど、彼女達はすんなり役になり切れるわけでもないのだろう。

2006年3月10日 (金)

宇都宮の妖精

 昨日、妻がこどもたちの作文をうちに持ち帰ってきました。
 宇都宮市では、「宇都宮市に妖精を研究している人が住んでいる」というただそれだけのことをまちづくり生かそうという発想で、「妖精をテーマにしたストーリー」のコンクールをやっています。
 それに応募するために妻の勤める小学校のこどもたち(小4と小5の四人)が書いた文章を清書してメールで送るためだったんですが、小学生の文章というのを間近に見るのはものごころついて以来というような経験でした。
 妻が読み上げて僕がそれを打ち込んでいく、という流れ作業だったんですが、
文章は意外に面白かったです。
 
一週間くらい前に、最初に出してきた女の子の文章第一稿は僕も読んでいたんですが、良くも悪くも子供らしいというか、状況描写などが、自己中心的な発想で書かれているんです。
 たとえば会話のシーンなどで、誰がどのセリフを言っているのかさっぱりわからないとか。これは四人全員にいえることだったらしいです。
 
 妻も、はじめはこの原稿に対して言いたいことはあるんだけど、いろいろ押しつけちゃいけないみたいな発想で、ぺたぺた小さなポストイットをいっぱいにはって、アドバイスをしてました。
 図書館で借りた本を汚しちゃいけないので付箋を貼る、とかいうのと同じ感覚ですよね。
 妻は学校図書室に司書の非常勤嘱託員という資格で入ってるんですが、「こどもたちからすれば、大人はみんな先生なんだ」という自覚がないんじゃないかと僕には見えました。
 
 だから「直すところの隣にポストイットを張ると、張ったところのその下が読めなくなって、いちいちはがさないと何が書いてあるか分からない。見にくいからやめろ」って僕が強行に主張して、遠慮がちな妻を説得し、朱を入れさせたんです。
 
 妻はその子はプライドが高いから朱を入れられると反発するんじゃないかと思ってたみたいですが結果的には真っ赤になった原稿を返されたこどもは、もう一回きれいに書き直してきて、その文章が実にいいんです。
 単にアドバイスされたとおりの文章を機械的に埋め込むというのではなく、
 よく効果を計算に入れた上で、こちらが予想しなかったようなことが書き加えられていたりして、驚かされました。
 
 妻も「あの子はプライドも高いけれど、大人扱いしてあげればちゃんとそれに応えるというようなタイプだったのねぇ」と話していました。
 
 僕は僕で、大学生よりも柔軟なんだなあ、と思う一方で、コメントをつけるにも、いわゆるラポール形成みたいな作業がほんとうに欠かせないんだなあということをあらためて感じさせられたできごとでした。
 
 妻はその子達とはふだんからかなり長い時間おしゃべりとかをしていて、そういうところでの関係作りがしっかりできているから、こういうときにそれが効いてくるんだろうなあと。僕はそういうところに時間をかけてこなかったんじゃないかなあ、と反省しました。

2006年3月 1日 (水)

東京からの帰り

 その江戸東京博物館からの帰り、宇都宮駅から妻と一緒にバスで自宅に帰ってきたんですが、そのバスのなかでの出来事。時間は夜9時ごろです。

 バスには二人の子連れの若い奥さんが乗っていました。子供は4歳と6歳くらいの感じの兄妹です。バスの中はとても静かなのでお母さんとこどもたちの話がよく聞こえます。

 バスが駅を出たくらいの時には、女の子(マリカちゃん・仮名)はユウジくん(仮名)がどんなに大好きで、お嫁さんになりたい、という話をしていました。おにいちゃんは「今日は楽しかったね」とか話してます。話の文脈から推測するに、どうも親戚か友達と一緒に遊びに行った帰りのようで、そのユウジくんとマリカちゃんは少なくとも数歳は年が離れていてるようです。

 はじめはしゃいでいたマリカちゃんも、バスが出て十分くらいすると眠くなってきたようで、指をちょっとしゃぶりながら目を閉じてしまいました。
 でもお母さんはマリカちゃんに寝られてしまっては大変。お父さんがいないし荷物もあるので、バス停からマリカちゃんをだっこしてうちまで歩くのはちょっと無理みたいなのです。 だからといってバス停からタクシーを呼ぶこともできません。
 こういうことをお母さんは極めて論理的に説明して、マリカちゃんを説得しようとします。
 マリカちゃんは目は閉じていますが、いちおう聞いてはいるようです。ときどき反論もします。
 「だって疲れてて暗いところにいたら、眠くなるのが当たり前でしょ」

 そういうわけで、おかあさんはどれだけ言ってもマリカちゃんが目を開けないので最後の手段に出ました。
 「マリカちゃん、ユウジくんのお嫁さんになりたいんだよねぇ。マリカちゃんがユウジくんにふさわしいおねえさんになれたら、ユウジくんのお嫁さんになれるチャンスがあるかもしれないよ」というのです。

 ここまでおかあさんの説得はすでに10分くらいかかっていたのですが、僕はこどもを説得しようとしたって泣かれるのが関の山だろうと思っていました。あきらめてタクシー会社に電話してきてもらうしかないんじゃない、とか思っていたのです。
 しかし、この新たな展開に僕とあやちゃんは「おおっ」という感じでさらに聞き入ってしまいした。

 マリカちゃんは答えます。「おねえさんっておかしいよ。マリカはマリカだよ」。
たしかに。兄妹という関係からすれば、マリカちゃんは妹であっておねえさんではないですよね、なるほど。

 お母さんは少しもひるまずこう答えます。
 「マリカちゃんだって、だんだん大人になっておねえさんらしくなるでしょ。
今はまだこどもだけど、はやく大きくなっておねえさんになれば、ユウジくんのお嫁さんにしてもらえるかもしれないよ。でもね、ただ大きくなるのを待ってたら、マリカちゃんがおねえさんになる間にユウジくんだって大人になるでしょ。
そしたらいつまでたっても追いつけないよ。それでもいいの?」

 マリカちゃんは無言ですが、たぶんよい感じだとお母さんは見たのでしょう。お母さんは調子に乗ってさらに続けます。
 「でもね、マリカちゃんががんばっておねえさんらしくなろうとしたら、ユウジくんも振り向いてくれるかもしれないよ。
だからがんばろうよ」

 でもマリカちゃんは、彼女が大人になる間にユウジくんはもっと大人になっているということが気になるらしくかえって無反応になってしまいました。
 お母さんはフォローをいれます。
 「だいじょうぶだよ。おねえさんになるために今できることをやればいいんだから。バス停からちゃんと歩いて帰るというくらいなら、マリカちゃんだってできるでしょ? それで十分おねえさんだよ」

 振り向かないとマリカちゃんの様子が見えないので彼女の反応はわかりませんでしたが、 たぶんうなづいたか何かしたのでしょう。
 「バス停からちゃんと歩いて帰れれば、おねえさんになれるからね。そうしたらユウジくん、お嫁さんにしたいなあって思ってくれるかもよ」

 説得は功を奏しました。振り向いてみるとマリカちゃんは無言ですが目を開けています。

 それからしばらくして、マリカちゃんは言いました。
 「なんだか眠くなくなっちゃったよ」
 それに対してお母さんはすかさずこう答えます。
 「だいじょうぶ。うちに帰っておふとんに入ってあったかくなったらぜったい眠れるから。いつもそうでしょう?」

 このくらいで僕らはバスを降りてしまったのでその後どうなったかわかりませんが、マリカちゃんはちゃんと歩いて帰れたのでしょう。でも僕らがバスを降りる直前に見ると、今度はおにいちゃんが目を閉じていました。
 おかあさんがどうおにいちゃんを説得したのかはわかりません。

 僕も妻もこういうお母さんははじめて見ました。子育ての風景もずいぶん変わったんだなあと実感した夜でした。

2005年6月 8日 (水)

ハムスター八日目

hamstar4ずっと更新をさぼっていたが、とりあえずハムスターの子供たちのその後を。
 昨日で八日目。ハムスターの寿命からすると、人間換算では8ヶ月目。小型の動物ほど幼く生まれてくるという経験則があるらしいが、ハムスターはおそらくその典型だ。写真で見るようにようやく毛がはえてきているが、まだ目は開いていない。やっと少し自分で移動もできるようになっている。(注1)

 生まれてきたのは4匹だった。これは標準からするとかなり少なめ。
 うち一匹は、子育て4日目に巣の外に運び出されていた。育たないだろう、という母の判断によるものと思われるが、一応戻しておいてみたら、二度は捨てにいかなかった。昨晩よく見てみると一匹だけ異様にやせているのは、たぶんその子だろう。毛は生えてきているので、発達が遅いわけではなさそう。

注1 ちなみに、人間はその法則の例外。馬などは生まれてすぐ走り出すがヒトはそうはいかない。こんなに体が大きいのに、あんなに親に依存する状態で生まれてくるのは人間くらい。頭が大きくなりすぎて、これ以上育つと産道を通れないかららしい。また、直立歩行するようになって、あまり産道を広げられないという構造上の問題もあるようだ。

ついでにいえばヒトは、チンパンジーとの共通の祖先から幼形成熟(ネオテニー)するよう進化したと言われ、性成熟しても、チンパンジーで言うこどものような体型を残している。他に幼形進化の例としてよく挙げられるのが、あのウーパールーパー。若いヒトは知らないかな。両生類は大人になると肺呼吸に変わるものが多いが、ウーパールーパーは外にエラが出たまま。

ちなみに、日本人を含むモンゴロイドは、他の人類よりもさらにネオテニーの度合いが進んでいる、という説もある。確かに白人のこどもたちって、赤ん坊の頃から大人みたいな顔つきをしているよね。僕らも白人に比べると数歳は子供っぽくみえる。http://www.kepco.co.jp/insight/content/break/break_sawaguchi04.html

ただし沢口氏の「日本人が恥知らずになりやすいのは、幼形進化のせいで、これまでは大家族制がそれを押しとどめていた、云々」は真に受けないほうがよいだろう。日本人の「恥の文化」をモンゴロイドの代表のように捉えるのはナンセンス。また同じアジア人でも様々な家族形態があるし、同じ日本人だって時代によって、階級によって家族形態は異なっていた。

2005年5月26日 (木)

結婚後の趣味の変化(ガーデニングなど)

niwa1 「結婚したらやってみたい」、と思っていたことが僕にはたくさんあった。インテリアや食器を妻と一緒に見て回ること、動物を飼うこと、そして庭いじりである。
 インテリア・食器類に関しては、新婚早々の頃には、とりあえず生活をはじめるためにそろえなければいけないものが多すぎて、あるいは一人暮らししていた時のものがまだまだ使えたりし、さらには妻が僕のそういう「夢」を知らずに、結婚前に妻の母とともに「嫁入り道具」的にいろいろ買い込んでしまったりしたので、結局「一緒に選ぶ」ようなことは一、二年くらい前からやっとぼちぼちはじめたばかりだ。宇都宮に越してきてしばらくは、週末になると決まって、近所のホームセンターや家具屋さん、雑貨屋さんに二人で出かけたり、インターネットで良さそうなものを探したり、とかいうことがずっと続いていたがそれも冬には落ちついた。妻がフルタイムで働き始めた今は、片付けのほうがなかなか大変。お客さんが来てくれたら、片付けるきっかけになるので、ぜひどうぞ。

 庭いじりについては、独身時代、観葉植物を買ったりということを全くしていなかったわけではないが、せいぜい部屋に一つとか二つとかいうレベル。今みたいにベランダの窓越しにびっちり観葉植物がならび、ベランダにはプランターを並べてハーブを育て、机の上には外で摘んできた野花を萩焼きの花挿しに生け、みたいなことは完全に結婚してからのことだ。
 結婚生活も四年目になると、そういう習慣がすっかり身についてしまって、子供の頃から植物好きだったように自分でも錯覚するのだが、野草や街路樹、よそのうちの庭の花などが気になったりして、少しずつ名前を覚えるようになったのも、妻に教えてもらったり、花屋で見たりしての、ごくごく最近の習慣と言える。
 
 そう思うと、昔から大して変わっていないようでいて、そうした趣味の活動では、結婚してからやっていることって相当に変わったことがわかる。たとえば作曲ひとつとったって、結婚してからは実のところほとんどやっていない。アルバムを完成させたのは確かに結婚後だけれど、それらを作曲したのはほとんど結婚前のことだ。だからこそ<パッセージ>みたいな曲が即興で弾けたときには、「ああ感情が高ぶれば今でもこういう曲ができるんだなあ」とうれしかった。結婚後はるかに比重を増したのは歌うこと、笛を吹くことで、今は楽譜に載らないような(必然的にMIDIでもまず表現できないような)装飾音やこぶしみたいなところに興味関心が移っている。
 
 
 まあそんなこんなで、先週の覚書を少々。この週末は、妻の仕事の関係で三連休になり、僕もそれに合わせてのんびりしていた。
 土曜日は、ホームセンターに行って、ずっとやってみたかったハンギング用の鉢や、そこに植え込むための花の苗(ペチュニア、八重咲きのインパチェンス(カリフォルニア・ローズ)、日々草)を中心にお買い物。また冬の間サフランが植えてあったところが空いたので、そこにランタナを中心とした寄せ植えをつくる(写真・奥)。ついでに大きなクワズイモの鉢や、ハイビスカス、アジサイ(隅田の花火)、ローズマリーを買ってみたりした。
 そのローズマリーと、すでに鉢植えで大きくなっていたレモンタイムは、職員寮の前にある草原に、大きな石をよっころせっと運んできて囲いを作り、雑草を抜いてそこに買ってきた土などを加えて植え込んでみた。ローズマリー、我が家では鉢に植えてみて何回か失敗しているのだが、うちの付近で地植えされているのをいくつも見て、地植えなら水遣りの調節もやりやすいのかもと決意。
 もっとも今回あらためてインターネットで調べてみると、土をアルカリにする必要があったらしく、これまではそれで失敗していたのかもしれない。よく見ると周辺に雑草化したスペアミントが草むらにそこかしこに生えていて、試しに摘んできてみる。 

2005年5月12日 (木)

ハムのお見合い その2

hamster2一昨晩に、三人同時に部屋に離してやると、こぶりのほうのモモちゃんとは仲良さそうにしていたのですが、おおぶりのカリンちゃんが近寄ると、まず二人でともに立ち上がり、軽いジャブの応酬の後、結局カリンちゃんの猛烈な攻撃が始まって、とめなければいけませんでした。

 それがそれが昨晩は、二人ともに立ち上がって、ちっちゃな手を相手に繰り出すところから、ランデブーがはじまるのは一昨晩と同じだったんですが、すぐにカリンちゃんのほうがおとなしく座りこんでしまって、お婿さんが周りをするどく動き回る、という様子が続きました。

 そのまま二人きりでずっと逢瀬を続けていたので、昨晩はカリンちゃんのおうちにお泊りさせました。カリンちゃんは今までのおてんばな様子とはうって変わり、静かに大人しく、お婿さんの好きなようにさせていたのが印象的でした。

 ところが、今朝になったら、お婿さんがまたチーチー "HELP!" と叫んでいるので何かと思ってみると、カリンちゃんに襲われているのです。驚いてすぐに引き離してやり、お婿さんを自分のおうちに帰してやりました。

 状況は夜になっても一緒。部屋に放してやっても、カリンちゃんが近づくとすぐにおなかを見せて「服従」のポーズ。カリンちゃんはいつものおてんばさんに戻ってしまいました。とてもじゃないけどもう一緒にできない感じなので、このまま離しておいて、カリンちゃんが妊娠したかどうか様子を見ることにします。

2005年5月 9日 (月)

ハムのお見合い

hamster昨年の秋からうちでは二匹のハムスター(♀)を飼っているんだけれど、子育てが見たくて、お見合いをさせることにした。写真がその子。

妻と一緒にネットで「お婿さん募集」をしたら、返事を返してくれた人が、なんとうちの近くの高校に通っていることがわかった。なかなか栃木県内でそうした人を見つけるのも難しいだろうなあと思っていたのに、本当に驚いた。

というわけでこの土曜日に、その学校のそばまでバスで連れてきてくれた。はじめの一日は巣箱にティッシュペーパーをひっぱりこんで、ほとんどずっともぐりきりだったんだけれど、昨日から外に出てくるようになって手の上にものるようになった。

というわけで、部屋に放してやって、うちの娘達ふたりにも顔合わせをしたんだけれど、うちの子達は自分よりもずっと大ぶりのこの子を見るとすごい勢いで逃げていってしまって、お見合いはまだしばらく時間がかかりそうだ。

2005年2月26日 (土)

blogはじめました

ここ最近の僕の一番のテーマは、「すぐれた社会学教師になる」ということです。
そのために必要なことはたくさんあるんだけど、基本はよく勉強した上で学生に役立つ情報を発信することだと思ってます。当たり前のことなんですが。

(ある情報の意味というのは、それが他のどういう可能性を排除するかによる、というのが情報論の基礎です。今日の天気が晴れである、というのは昨日以前でも明日以降でもないほかならぬ今日という日に関して、それが曇りでも雨でもない、ということを意味することで、それが有意義な情報を担っているし、また反証可能性も開かれている、ということになります。
上記の文章でいえば、「よい社会学教師がやるべき重要なこととして、たとえば、学生の悩みを聞いてあげるとか、そういうことも考えられはするけれども、そうではなく、学生に役立つ情報をどこかからインプットしてきて、それをアウトプットしてやる、ということこそが大事だ」というようなことがその意味ということになるかもしれません。
教育関係では、意味のない、単にきれいごとの文章が氾濫しているので、こういうことは学生に口を酸っぱくして伝えたいことの一つです)

社会学の教師としては、「よい授業をする」ということが僕にとって一番の情報発信の方法になるはずなんですが、そこで伝えられる情報への信頼、ということも考えると、僕がどんな人間なのか、ということもわかってもらえればいいな、と思うわけです。
インターネットというメディアは、そこで作られる関係として「広くて浅い」と「狭くて深い」の両方が可能、という特徴があるわけですが、僕はどちらかというと「狭くて深い」人間関係を志向しながらこのblogを運営していきたいと思っています。

というわけでこれを一番読んでほしいのは、まず自分の大学の学生で、次に社会学を勉強したいと思っている一般の人々です。
コメント大歓迎なんでどうぞよろしくお願いします。

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